見出し画像

【短編】大晦日

ひな祭り こどもの日 七夕 クリスマス

特別な1日が何の変哲もない1日に変わってしまった日がいつだったのか。はっきりと覚えていないけど、それはいっぺんにではなく、徐々に徐々に僕を侵食していったことは確かだった。



「良いお年を」

仕事納めの日。皆と同じようにそう口にして職場を後にした僕は、ガヤガヤと騒がしい駅前の通りまで来たところでふと気がついた。
仕事納めというこの日の終わりが去年感じたうっすらとした特別感さえ僕に与えてくれなくなっているということに。

年末にもかかわらず分厚いダウンで遮る必要のない、今年のこの弛んだ空気のせいなのだろうか。一瞬そんな考えが頭をよぎる。僕が吐き出した息を白く染めないことでその存在を僕に悟らせないようにしているように、僕の中の仕事納めという区切りを曖昧にしているのだと。

しかし、今年が異常気象による例年にないほどの暖冬でなかったとして、僕の吐き出した息がこれでもかというくらいその存在感を、物質感を、流れる景色と同化しないひとつの独立したモノだと僕にアピールしていたとしても、多分、今年の僕にとって仕事納めという特別な1日は、はっきりと去年までとは違うものになってしまっていたのだと僕は本当は気付いていた。

こんなところまで。

改札機にスマホをかざし、濃縮されていく人の流れと同化しながら僕は考える。特別な1日も僕も同じなのだと。
その他大勢の中にいつのまにか埋もれて特別なものでは無くなってしまう。大きなものを構成する一部。確かにそこにあるけれどそこにあることを意識されることはなく、必要不可欠だけど特別ではない。そんな矛盾した存在なのだと。


電車に揺られながら窓の外を見ると、大きな丸い月が僕を見つめていた。今年最後の満月。特別な満月なんだよ。と朝の電車で女子高生達がそう言っていた声が僕の頭の中で再生される。

今年最後。か。

丸い月を見上げながら口の中で小さくそう呟くと、僕の胸の辺りがサワっとザラついた。
そして様々な特別な1日が消えていったこの僕の中にも、まだハッキリと残っている特別な日がまだあったことに気が付く。

一年の終わり。
一年の始まり。

年末年始。
大晦日にお正月。

実家を出てから徐々にその存在感は薄くなってはいるものの、この2日間は僕にとってまだ特別な日だった。
それを思い出したことで、サワっとした不快な感触はほわっとした暖かいものに変化した。しかし、それと同時に恐ろしい気持ちがじんわりと僕の中を満たしていくのがわかった。

この特別な日も、いつか近いうちに特別では無くなってしまうのだろうか。

なんとなく感じる、いつもとは雰囲気の違う夜。元日の太陽が照らす空気のいつもとは明らかに違う清浄感。

特別な1日であるがゆえにそれらを僕が感じているのだとしたら、特別な1日で無くなってしまったその時から、僕はあの世界を見ることができなくなってしまうのかもしれない。

僕は小さい頃から、年末年始のあの空気を感じることで生きているのだという実感を得ていた。もしあの空気を感じられなくなってしまったら、生きているのだと確かに感じられる手段が、瞬間がなくなってしまう。
そうして僕は完全にこの世界の一部となり、そしてこの世界から完全に切り離されてしまうのだろう。

月を見つめ返しながら僕はごくりと唾を飲み込んだ。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

良かったらスキ・コメント・フォロー・サポートいただけると嬉しいです。創作の励みになります。