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誰かが犠牲になることなく、“弱さ”を見せあえる環境をいかにつくるか:「新自由主義保育からの脱出──豊かな保育環境をみんなでつくるためには」事後レポート

 楽しくて、豊かな生活のためになる心理学を考え、実践していく。
 その一環として、ほんのちょっとかもしれないけど、とっても大事な変化のきっかけになるようなイベントを企画する。
 そのような想いのもと、2023年10月21日(土)にトークイベント「新自由主義保育からの脱出──豊かな保育環境をみんなでつくるためには」を開催しました。
 本記事では、荒川出版会メンバーがイベントの事後レポートを公開します。レポーターは、荒川出版会の水島淳です。

皆さん、こんにちは。荒川出版会の水島です。

2023年10月21日、「新自由主義保育からの脱出──豊かな保育環境をみんなでつくるためには」と題した、保育者の労働問題に関するトークイベントが行われました。

登壇者は、蓑輪明子さんと北本遼太さん。蓑輪さんは、保育士の労働調査で脚光を浴びた労働問題の専門家。北本さんは、社会物質性アプローチを用いて実践的な介入を行う発達心理学者であり、保育者養成校の教員でもあります。

労働論×心理学。2つを掛け合わせたとき、保育現場の多忙さや余裕のなさを解決するヒントは見えてくるのでしょうか。お二人の対話から生まれる「正解(仮)」はいかなるものでしょうか。3時間にわたる白熱した対話の様子をぜひご視聴ください!

同イベントのアーカイブ配信購入は、こちら

以下では、その様子をダイジェストでお伝えします。

北本遼太さん(荒川出版会)と蓑輪明子さん(名城大学)

導入──新自由主義と保育

「心を個人の中に備わる抽象物として捉えない」
「心は周囲の具体的な状況とともに形成される」

北本さんは、ご自身の立場である状況論アプローチをそのように説明します。たとえば、北本さんは「自転車通勤をしよう」と思っているらしいのですが、その動機はなにも急に個人の中に沸き起こるのではなく、「健康診断でひっかかった」「通勤に適した自転車がある」「痩せた暁には好きな人に告白しよう」という具体的な状況とセットになって現れます。

このように「心」を状況とセットで考えるとき、保育者養成校の学生さんの様子(忙しいなど)も状況とセットで考える必要があると言います。では、その状況とは何か。それが新自由主義です。

北本さんが仲間とともに翻訳した『新自由主義教育からの脱出』によると、新自由主義とは、「消費への欲望」が生活全体に浸透しながら「消費の危機」にもあるという矛盾状態だと言います。簡単にいうと、何か物を買いたい(買わなければならない)と思いながらも、すべての人がそれをできるわけではないという状態です。そのような「本当は消費したいのに、それが消費できない」状態によって人々は余裕がなくなっていき、また、(新自由主義)教育も、そのような「消費できないこと」を「あなたのせいだ」という自己責任として押し付けてくる、現代はそのような状況にあると言います。

こうした状況とセットで保育者養成校の学生さんや保育士さんの様子を考えていこう。本イベントの趣旨が提示されました。

保育の働き方の過酷な現状

蓑輪さんは、もともと、労働と生活、家族とジェンダーの視点から、資本主義社会の中での働き方や生活がどのように変わるのかを研究していました。

時代の流れとして、日本でも共働き世帯が増えて、保育者の働き方を無視して子どもたちを詰め込んで保育の受け皿を作ろうということが生じ、保育者の側からすると子どもを預ける親の働き方がよくわからない、自分たちの働き方もよくわからない、どうして保育者の仕事の人気がなくなるのかもわからないという状況が起こりました。そのような変化によって生じた「問題」を分析してほしいということで、蓑輪さんは研究者として保育労働の問題に関わるようになります。

フィールドワークをしながら保育労働の状況について調べてみると、保育士さんが非常に多忙であることが見えてきます。たとえば、保育士Aさんのとある一日の働き方は息つく暇もありません。一覧で見てみましょう。ちなみに、勤務シフトは8時30分〜17時15分です。

保育士Aさんの1日
7時30分 〜 開園準備
8時30分 〜 クラス保育開始
9時15分 〜 お茶の時間
9時45分 〜 プールの時間
11時    〜 給食
12時15分 〜 お昼寝
 13時30分 〜 休憩(この間、片付けや事務作業) 〜 14時30分
   休憩には「アクエリアスを飲んだ」
14時    〜 遊び
14時30分 〜 おやつ
15時10分 〜 クラス保育 帰りの会
15時30分 〜 異年齢合同保育(外遊び)
16時15分 〜 事務時間
※ 自宅に持ち帰りの作業あり

ほとんど休憩も取れないまま、保育をしているか保育準備や事務作業をしているかである様子が見えてきます。このような多忙さであるにもかかわらず、この園は事務時間が設けられている分、良い方の園だそうです。つまり、多くの園では勤務時間は保育、勤務時間外に保育準備や事務作業をしていると蓑輪さんは指摘します。

そして、このような残業時間はほとんど給料に反映されません。愛知県の保育施設を対象にした調査の結果、月平均残業時間は18.7時間であるにもかかわらず、支払い残業時間は4.2時間しかないことがわかりました。この調査は公表することが前提の調査でした。結果を集計した蓑輪さんはこのような実態に驚き、集計ミスではないのか、これを公表しても大丈夫なのかと夜も眠れなかったそうです。

このように保育者はかなり過酷な働き方を強いられています。このような状況の背景には、新自由主義的保育政策が関わっていると言います。そのポイントは、公的保証としての保育から市場化された保育への転換であり、以下のような転換があったと蓑輪さんは指摘します。

  • 実施主体と施設の多様化(たとえば、株式会社が保育に参入)

  • 運営費の使途規制緩和(たとえば、人件費を他の使途で利用可能に)

  • 保育実施に関する規制緩和(たとえば、超過児童の受け入れを容認)

  • 自治体による処遇改善施策の後退

  • 保育士体制への配慮なき保育の「拡充」(たとえば、障がい児の受け入れ拡大、ただし公的補助はほとんどなし)

こうした環境を改善するためには、「コミュニケーションすらとれない職場環境」「がんばるほど意欲がそがれる構造」を転換することが求められるであろうと問題提起をしました。

潜勢的発達、学びのモデルの転換、etc…

蓑輪さんからの問題提起を受けて、北本さんは、そのヒントは『新自由主義教育からの脱出』にあると応えます。というのも、同書の前半では社会の構造に個人を適応させる様子が描かれ、同書の後半では社会の構造、あり方をどのように変えていくかを示す実践の様子が描かれているからです。本書では、このような違いを可能的発達と潜勢的発達という対比で説明しています。

同書を読んでいた蓑輪さんも、「可能的発達と潜勢的発達」という議論に刺激を受けたと言います。現状は、可能的発達しかできないような、つまり、現状に適応するしかないような状況(たとえば、養成課程に潜勢的発達のモデルがない)にあるように思うと言います。潜勢的発達、つまり、現状を改善し新しい環境を作っていけるためには、そのようなことをできるようにするモデルが必要で、そのモデルとして、非正規保育補助をたまたま勤めたところから保育士資格を取り正規保育士になるという人たちであったり、保育者養成を受けてはいないが保育所にひょんなことから関わったことで保育所運営に誠実に携わっていくという人たちを取り込んでいくのが有効ではないかと指摘します。そのような人たちは既存の発想にとらわれずに保育に関わることができるからです。

北本さんも、現状の保育者養成課程が不要だとも言えてしまいますねという冗談を言いながらも、まずは保育補助として働いた後に学び直すというモデルに対応する必要性について同意しました。

ざっくばらんに意見交換する蓑輪さんと北本さん

その他、会場・オンラインから活発な質問があり、和気あいあいとした雰囲気の中イベントは終了しました。

この記事で触れた議論はイベント全体のほんの一部分です。養成校の忙しさの問題、日常の問題と社会の問題とのつながり、実習の際には髪色を黒くする問題などなど。豊かな保育環境をみんなでつくるための重要な種がイベント中では蒔かれました。

ぜひ議論の詳細をアーカイブ動画にてご覧いただき、皆さんの考えるきっかけにしていただければ幸いです。

記念撮影するお二人(左:北本遼太さん(荒川出版会)、右:蓑輪明子さん(名城大学))

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