読書感想文(380)ジッド『狭き門』(山内義雄訳)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んで下さってありがとうございます。

今回は読書会で紹介された本を読みました。
作者のアンドレ・ジッドは有名な作家ですが、読んだのは今回が初めてです。

感想

良かったです。が、感想が上手く書けそうにありません。
前半部分は結構共感しながら読めたのですが、後半はあまり共感できませんでした。
この作品は、現代人にあまり共感されないように思います。
理由は、以下の引用文に明白です。

わたしが将来に対して捜し求めていたものは、幸福それ自身というより、むしろそれに到達せんがための不断の努力にほかならなかった。
そして、わたしはすでに、幸福というものと、徳というものとを同一のものと考えていた。

P29

しかし、ジェロームはこの思想の根本をアリサと共にあることの為としており、その個人(小我)的な欲・執着から逃れられなかったことが不幸の原因であるように思えます。
一方、アリサは小我をより客観的に捉えることができており、小我的な自己を見つつも、神への奉仕を我が道として進んでいきます。
私は宗教的信仰心があまりないので、アリサのこの固執にはあまり共感できませんでした。しかし、最近仏教で勉強したことをもとに考えると、空病に近い苦しみを感じているのではないかと思います。
まあ、仏教(の一部)が苦しみから逃れるために自らの行いや考えに注目するのに対して、キリスト教では救いを神に一任しているように思うので、その辺りをどのように解釈するのがよいのか私にはわかりません。

「あなたはひとり歩きできるほど強くはないの? 神さまを得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ」
「だって、ぼくにみちを教えてくれるのは君なんだ」

P37

これもかなり序盤ですが、既に二人の道が同じでないことがよくわかります。
ジェロームはアリサを偶像的に信仰しており、もはやそのためのキリスト教となっています。
アリサは結婚という形式こだわらず、今この状態が幸福なんだということを何度も言います。これは共感できるところなのですが、周りに合わせたり比べたりすることから離れるのはなかなか難しいというのも現実です。
また、先ほど述べたように空病の類似で考えると、アリサは結婚することにこだわらないどころか、結婚しないことに執着してしまっているように思えます。この原因は何なのか考えてみると、作中のアリサの日記からジェロームをより崇高な道を歩ませるためではないかと思います。アリサが結婚しないことにこだわったのは、結婚すればジェロームが世俗的な幸福に満足してしまって、本来あるべき崇高さを求めずに終わってしまうからではないでしょうか。
うろ覚えの記憶で書いているので、全然違うかもしれませんが。

おわりに

やっぱり感想を書くのが難しかったです。
読みながら、なんとなく中河与一『天の夕顔』を思い出しました。
恋愛と崇高さの関係をどう考えるか、久々に考えてみるのも面白いかもしれません。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。



この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?