読書感想文(337)恩田陸『鈍色幻視行』


はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は最近単行本が出版されたばかりの恩田陸さんの本です。

感想

とても良かったです。
私は恩田陸さんの作品の中で、今のところ『三月は深き紅の淵を』が一番好きですが、それと共通するところが結構あるように思われました。
『三月は深き紅の淵を』(以下、『三月(現物)』)は四部構成でそれぞれの中で違う『三月は深き紅の淵を』(以下、『三月(作中作)』)が出てきます。
『三月(作中作)』は章によって存在していたり存在していなかったりしますが、その幻の本を巡って様々なお話が展開します。
一方、『鈍色幻視行』は作中で『夜果つるところ』という作品について登場人物が語り合いますが、この『鈍色幻視行』が発売されたすぐ後に、恩田陸さんが『夜果つるところ』という作品を出版しています。しかも『鈍色幻視行』は主人公の作家が『夜果つるところ』(作中作)について取材し、文章を書こうとするお話です。なので、『夜果つるところ』(現物)が『夜果つるところ』(作中作)なのかもしれないし、『鈍色幻視行』で主人公が新たに書いた『夜果つるところ』なのかもしれません。これは、『夜果つるところ』(現物)を読めばわかるはずなので、とても楽しみです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、『三月』(現物)は第四章に登場する「理瀬」の物語が沢山書かれています(通称理瀬シリーズ)。また、理瀬シリーズに登場した「憂理」を巡るお話が『黒と茶の幻想』として出版されていますが、この『黒と茶の幻想』は『三月』(現物)の第一章において、『三月』(作中作)の第一章のタイトルが「黒と茶の幻想」であると書かれています。

と、まあこんな感じで現実と作中が行ったり来たりするわけですが、『鈍色幻視行』はそれと少し似ていて、少し違います。
この作品が『鈍色幻視行』と『夜果つるところ』の二作品で完結するのか、それともまた何か別の作品に連なるのか、それは作者或いは神のみぞ知ることです。
『夜果つるところ』(現物)が『夜果つるところ』(作中作)と同じものならば、我々が現物を読めば、『鈍色幻視行』の登場人物達と一緒に『夜果つるところ』について語り合うことができます。いや、『夜果つるところ』(現物)の作者は恩田陸であり、『夜果つるところ』(作中作)の作者さ飯合梓です。
『鈍色幻視行』の登場人物達は失踪した飯合梓の事を中心に話していたので、結局仲間には入れないかもしれません。

こんなことを書いていると内容についての感想が全然始まらないのですが、『三月』や『鈍色幻視行』は、作品の内側だけでなく外側或いは外側との繋がりも大切なように思います。
これらの作品は長年かけて自分なりに読み解いていきたいと考えているので、こんなまどろっこしいことも書いておこうと思います。

旅は始まっているのだが、まだ始まっていない。
この宙ぶらりんな時間が、梢は嫌いではなかった。

P11

最近旅行したばかりなので、この一節が目に止まりました。
恩田陸さんは旅行エッセイも書かれていたはずなので、いつか読んでみたいです。
尚、冒頭に出てきた中で印象的な「蝿」ですが、冒頭文の引用は何となく気が引けるのでやめておきます。恩田陸さんの作品(特に理瀬シリーズ)は冒頭や締め括りが意味深なことが多いですが、今回は分かりそうな意味深でした。窓の外の蝿と自分、視えている世界。あ、タイトルに「幻視」とあるのはやっぱりこの辺りと関係しているのかも? 思えば、登場人物達もそれぞれの視点で幻を視ていたような気がします。ああかもしれないし、こうかもしれない。神のみぞ知ることを自分なりに理解しようとする、理解できないのに。特に印象的なのは最後の方、何かが解決したかのような雰囲気が出ていますが、冷たい言い方をすれば自分の中で納得したというだけ。小川洋子さんの言う「物語の役割」に近いかもしれません。

 呪いとは何だろう。
 梢はぼんやりとコーヒーを飲む。
 呪縛と刻印。ある意味で、あたしたちは呪いを切望している。自分を縛るもの、魅入られるもの、やむにやまれず引き寄せられるものを。
 晴れ上がった初冬の空の下、いつもと変わらぬ人の営みの風景が窓の外を通り過ぎてゆく。
 あたしの呪いは何だろうか。
 梢はぼんやりと考える。
(中略)
 小説を書いていること、だ。これが呪いだ。きっと、これはずっとずっと前から始まっていたのだ。

P18

昔、「恋の呪縛」という概念を作って色々考えたことを思い出しました。
それは、恋に苦しむことが分かっていながらも、そこから逃れることができない、というものでした。
結局、大学四年生頃に一つ抜け出す方法を見つけたことは覚えているのですが、肝心のその方法は覚えていません笑。
こうやって話が脱線するのは、この作品の登場人物と同じような気がします。
本を読みながら自分の経験と照らし合わせて色んなことを考える、というのは読書の醍醐味ではないかと思います。

必然性。そして、その下のクエスチョン・マークの意味。

P44

「必然性」という言葉は何度も出てきたので、やっぱり印象に残ります。
坂口安吾は「どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、やむべからざる必要に応じて、書きつくされなければならぬ。」「この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。」という言葉を残しています。
小説の中に「必然性」という言葉が登場したこと(それも脚本家の言葉として)は、作家に「必然性」を問うことでもあるように思われます。
この作品の登場人物はクリエイター職が多いですが、主人公が作家であることもあって、作者が周りの人達に向けて書いたようにも見えます。これは妄想だと思いますが。
また、この作品についても、『夜果つるところ』について話し合うという目的がありながら、一見全く関係ないような話が出てきたりします。読みながら、「この章の必然性?」と思ったりしました。
そういえば、『源氏物語』の終盤でも似たようなことを思ったなぁ。

旅とは少し死ぬことである。
梢は胸の中で繰り返してみる。旅とは、日常とは異なる時間、異なる世界の住人になることだ。それはつまり、普段は意識していないけれどこの世と確実に並行して存在する、死者の時間あるいは死者の世界に似ているということなのだろうか。
二人は、屋久島の島影が、水平線の上の雲の塊になるまで、じっと見つめ続けていた。

P106

これまた意味深な一節です。
ちなみに屋久島は『黒と茶の幻想』の舞台でもあるのですが、ある一人の人物の死を巡るお話でもあります。
また、この『鈍色幻視行』も『夜果つるところ』の作者(死亡説濃厚?)について登場人物が語り合うので、読みながらずっと『黒と茶の幻想』っぽいなぁと思いました。
ここに屋久島が出ていることは、今引用しようとして初めて気付きました。

私も正直なところ、ただのありがちな怪談だとは思っていたものの、肌寒いものを感じ、思わずがらんとしたラウンジを見回してた。
もしラウンジの隅に帽子をかぶった女がひっそり座っていたら――
慌ててそのイメージを打ち消す。
あたしが「呪われた映画」の雰囲気に呑まれてどうする。
(中略)
怖がっていた。みんな、怯えていたのだ。
こんなに明るい海の上で。真昼間に。大の大人たちが。
そう気付いて、なんとなくゾッとする。

P136,139

この部分は『六番目の小夜子』を思い出しました。
恩田陸さんは学校という空間を、周りから隔離された特殊な空間だと位置づけているように思っているのですが、旅行中かつ海に囲まれた船の上というのも、同じく隔離された特殊な空間です。

こんなふうに、恩田陸さんの他の作品を随所に感じるのですが、この作品そのものが『夜果つるところ』と関わっているのは勿論、同じように色んな作品に関わる『三月』にも近い所があるわけです。
これをどう捉えて考えるか、まだそこまでは頭の整理ができていません。

陰謀に気を取られ、素直な見方ができなくなる――
それと似たような状況を、ついさっき体感したような。

P144

これはメタ的な読みもできる気がします。
先に述べたように、この作品は最後に「大団円」のように描かれていますが、確かめようのない事実については何も解決していませんし、登場人物達の様々な説も一歩引いて眺めると少し滑稽な感じもします。
けれども、これも恐ろしいのが作中で「真実」についての言及があること。
真実はパレードで降ってくる金色の紙吹雪。
或いは、真実は虚構の中にしかない。
特に「真実は虚構の中にしかない」と書かれているこの作品が虚構(フィクション)なのも面白いです。『鈍色幻視行』の中に一片の真実を見出してもいいでしょうか?と作者に問いかけたくなります。
さて、真実は虚構の中にしかないということを踏まえると、やっぱりこの作品の最後は大団円になるのです。なんなんだこのロジカルなシステム。
ちなみにこれも後で発見しましたが、P382に「あの小説には、大きなミスディレクションがあるだろう?」というセリフがありました。

何を見てる?
俺は、その詩織の表情が気になった。さっき見せた彼女の顔は、俺には、強い恐怖の表情であるように思えてならなかった。

P251

これはミステリーだと重要な伏線になりそうですが、実際は後に思いがけず仕事のミスに気づいただけだった、と明かされます。これも登場人物の勘違いです。
しかし、この「真実」も真実なのかわかりません。もしかしたら、詩織さん(何見てる?と思われた人)は、やっぱり何かを隠していたかもしれませんが、この『鈍色幻視行』は詩織さん視点で書かれてないので、実際どうなのかわかりません。しかし、現実でもそんなもんですよね。深読みしようと思えばいくらでもできるし、いくら深読みしても本心を確信することなんてできない。信じることはできるかもしれないけど、正しいと証明することはできない。
これも虚構の中の真実でしょうか?

映画を観るという行為は、それぞれ一人一人かま映画を上映しているんだって」
(中略)
「つまりだね、映画のサイズというのは、人間の視界のサイズだろ。映画というのは、人間の見ている世界をそのまま模しているわけだ。疑似現実といってもいい。だから、実は目から光が出ていて、脳の中の映像が映し出されているのと一緒なんだと。

P313

なるほど、と思うと同時に、「では小説は?」と考えたくなります。小説は明らかに人間の視点を超えていることがほとんどです。三人称視点がほとんどだし、一人称視点だって、他人の心は見えません。
小説とは何か、考えたくなりますね。
ちなみに『三月』(現物)の第二章には、読むことは書くこと、新しい物語が立ち上がってくる、といった話が出てきます。この辺り、著者の小説観を知りたいなぁと思わされます。

 憧れ、というもの自体が懐かしかった。
 憧れ。もはやそれも過去の言葉だ。今、あたしは何かに「憧れて」いるだろうか。「焦がれて」いるものや「焦って」いるものはあるけれど、何かをうるんだ目で「憧れ」ることなど、この先あるのだろうか。

P387

この部分、読んだ時にはグサッと来たのですが、どんな風に刺さったのかイマイチ思い出せません。
でもそういえば一時期、「憧れ」を探していたことがあります。当時は「理想」という言葉を使っていたと思いますが、理想が定まればそこに向かって進むだけなのに、目的地がわからないから迷いながら爆走していました。いや、もしかすると今もまだ迷子の暴走族かもしれません。

何かきっかけがあったというより、これ、考えといてねってコンピューターにデータを打ち込んでおいた問題が、知らないうちに知らないところでずーっと演算されてて、ぺっと答えを吐き出したのがその瞬間だったってことなんじゃないかな

P397,398

こういうのって、ありますよね。
最近ちょうど、夜眠ろうと思っている時に何かをふと思いついて、近くにある紙にメモだけしました。
この部分、理論化して自由に使えたらとても強いと思うのですが、なかなか使いこなせません。でもまあ時間をかけて熟成しなければならない部分はどうしょうもないでしょうか? それとも熟成を早めるための方法が何か見つかるでしょうか?

今ふと思い出したのは、理瀬シリーズでは(もしかしたら恩田陸さんの他の作品でも)、何か引っかかることがあって、何かのきっかけでその謎が解ける、という思考回路が、意識的に描かれているなぁとよく思います。
それと似ているような、ちょっと違うような。でも思いついたのでメモだけ。

『夜果つるところ』のフィルムも、存在しないからこそ美しいのかもしれない。完成してしまっていたら、ここまで熱心に語られなかったかもしれない。未完成だからこそ、安心して哀惜できるのかもしれない。そんな気がするんです。

P449

これと似たようなことが、『三月』(現物)の第二章で描かれていた気がします。
確か、編集者の女性の方で、物語を読むことは書くことだと言っていた人です。
これは『三月』の第二章に限って言えば、また別の読み方もできる気もしますが。

真実があるのは、虚構の中だけだ。
もっと正確に言えば、虚構の中には、真実に触れられる瞬間がある。
これは断言できる。人間の人生は、それだけで精一杯で、真実の紛れ込む余地なんかないんだ。人生を生きている当事者には、その中の真実は見えない。
だからこそ、我々は、映画の暗がりに、小説の中に、真実を求めに行く。探しに行く。

P511

これは先程述べたところです。
本文からきちんと引用しておきます。

もっと深読みしたい、もう一度、いいえ何度でも、新たな『夜果つるところ』が立ち現れるところを見たい。繰り返し繰り返し、姿を変えて現れるこの作品を体験し続けたい。

P531,532

これは私自身の『三月』に対する思いに近いです。そしてもしかすると、『鈍色幻視行』及び『夜果つるところ』もそうかもしれません。

楽しんだといっても、あまり会話は交わさなかったように思う。
こんな時、梢は改めて二人の同質感というか、「体温」の低さ加減が似ているなと思ったし、似ていてくれて本当にありがたいと思った。

P534,535

この二人の距離感、とても良いなぁと思いました。どんな所がというと、多分こういうところです。
読み返す時はこの二人の関係にもう少し注目したいと思いました。

おわりに

今回は結構長くなってしまいました。
もしかすると今年最長かもしれません。
たまにはこうやって長々と書くのも楽しかったです。
今はとにかく『夜果つるところ』が早く読みたいです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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