小説家になりたいだけで努力しなかった人のお話

例えば小学生時代、読書感想文で賞を獲ったことがあったり…
ちょっとした作文でも褒められることが多かったり…
読書をすることが好きで、自分でも天才的な物語を創造することができたり…
そういった経験をした人はなんとなく「こんだけ才能があればいつか小説家になれるのではないか」と考えたことがあるのではないか。

小説家じゃなくても詩人、作詞家、脚本家……など文章力や創造力を要するクリエイターになりたいと考えたことのある人は少なくないと思う。
その願望が中学時代なんかだと、その道のプロになるまでのプロセスを無視して「人気作家になった自分」を先に妄想してしまう。
まだ何も書きあげていないのに、自分の本が書店に並んでいる妄想をしたり。
まだ何も書きあげていないのに、自分の本が賞を受賞する妄想をしたり(ついでにテレビのインタビューに答えてる妄想をしたり)。
私なんて、小説家として人気者になってテレビに出演していいとものゲストに出るところまで妄想した。

正直なところ「ある程度の文章力」は生まれつきの感性やどれだけ本を読んだかなどでどうにか補えると思うけども
プロになるとなったら
「ムチャクチャ…ムッチャクチャ面白い物語を書ける能力」や
「一つの文章を常に、完璧に、心折れることなく完結させる能力」を要する。
前者に関しては才能の世界になってしまうかもしれないけど、後者の文章完結能力の部分で躓いている小説家志望者が世の中には溢れていると思う。
多分。
ちなみに文章完結能力の「能力」は才能やもともと備わっている力のことだけではなく、完結させる努力ができるかどうかという忍耐力がかなり影響されると思う。
つまり、完結させることを「頑張れるかどうか」だ。

思いついた物語を頭の中で構想している時点では「これは面白いぞ」とワクワクするんだけど
いざ書き始めると「こんなん面白いのか…?もうこんな小説世の中に出回り倒しているのでは」と急に自信が無くなってしまう。
まして、物語の導入の表現に関して「こういう導入の方が読者を引き付けられるのかな」「これじゃ説明調になりすぎるのかな」とか考えすぎて、結局導入+数ページで挫折した小説がメモリの中に溜まりまくって今日を迎えている……なんて人、きっと私だけじゃないと思う。

またこのタイプは何かよくわからんが、自分の文章力に謎の自信があったりするから厄介なのである。

一昔前、携帯小説大ブームの際、横書き小説が流行りに流行って、書籍化までされた。
その時、前述の私のようなタイプの人間は皆思ったはずだ。

「こんなの小説じゃない」

蓋を開ければセリフばかりの文章、テーマはこぞって援助交際、ちょいエロ、リ〇カ、裏切り、レ〇プ……と不穏な匂いのするものばかり。
(あくまで当時の個人的な印象です)
いや~こんな小説と呼べないものと私が考えている「ちゃんとした小説」は全然違うからさ~と何故か上から目線でそれらを見物していたし、
同じような考えで同じような口調でモノを言っていた人は私以外にも少なからずいただろう。

しかしここ数年、考えが一変した。
古本屋で昔大流行した某携帯小説(書籍)を見つけた時、一番に出た感想が、

「一冊のページ数ムチャクチャ多いのに上下巻でとるやんけ。どんだけ書いたんこの人」

だったのである。
携帯小説全盛期だったあの頃、下に見ていた作家さんに対して尊敬の目に変わっていたのだ。
それもそのはず、学生時代から小説家になりたいとぼんやり思っていた私だったが、完結させることができるのは同人活動していた頃の二次創作作品ばかり。
いざオリジナル作品を書こうとすると筆が進まなかった。
それでも二次創作の方で有難い感想をもらえたり、リピート購入してくれる方がいらっしゃったので、自分の文章は面白いと無暗な自信のみが積り積もってしまった。
気づけば、新しい表現方法を叩くだけの「評論家まがい」になってしまったのだ。

結局その後、仕事が忙しくなり二次創作もやめてしまい、結婚をし、今に至る。


現在も携帯小説とはまた違った表現方法で、若い子や文章創作に慣れていない人でも気軽に挑戦できる創作媒体が増えている。
今の私はどんな形であれ、一つの物語の導入を書き、話をすすめ、完結させることができている人をリスペクトしている。
それが5行小説であっても、「こんなの小説じゃない」と言われるようなものであってもだ。

おそらくこれは小説家だけでなく、漫画家やミュージシャン志望の人にも言える話だろう。
流行の歌を聞いて「あれは音楽じゃない」。
売れた漫画を読んで「でも絵は下手だよね」。
酒飲んでクダ巻いて評価されない自分を慰めることは誰でもできるが、黙々と創り続けることが最後までできる人は一握りだと思う。
その一握りになるには、過信してわかったような口を利くことではなく才能+努力と根性なのだろう。
それがない私は小説家になんて到底なれなかった。
奇跡的になれる機会が与えられたとしても、続けることはできないだろう。


今の私にできることは
他人の作品にゴチャゴチャと文句をつけ、完結させる努力を怠っているのに「それでも私の小説は面白いからいつか芽が出るだろう」とタカをくくっていた過去の私を叱咤することくらいだ。

人を見下す前にとりあえず今書いてるモン完結させろよ、と。


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