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狂った夏に、

男は、「夏が終わるね」と言った。からだをぴたっと密着したまま、指先で背中を撫でながら。

冷蔵庫から出したばかりのウーロン茶はひどく冷えていて、運動した後の火照った身体に沁みるどころか、わたしたちを必要以上に現実世界に連れ戻そうとしていた。うるせぇ、まだ早いわ、わからず屋。

人肌が恋しくなるのは冬だけれど、わたしが狂うのはいつも夏だった。年を重ねてしまう夏、焦燥感と闘い続ける夏。夏が終わる、ということは、日常に戻るということ。狂った生活をやめて、真っ当に生きようと努めること。ああ、わたしはいつだって真っ当に生きているつもりなのに、後ろを振り返ったときにぼんやりと視界に入る過去たちはいつも散らかっている。

未だに、変わり映えしない、淡々と続く日常に苦しさを感じてしまう。それらを愛せるようにならなければ、心の安寧とか幸福感を得られないことは知っている。ただ、同じひとからもらい続ける愛とか優しさに飽きる。興奮は必ず冷める。変わった先のかたちを大切にすればいいのに、猛烈な刺激が欲しくなる。とてつもない不幸が起きたときにしか、当たり前のありがたみがわからないらしい。

己が自覚できない「ありがたみ」など無いものと同じだ。とてつもない不幸にすらちょっと喜んでしまう退屈なわたし。


2022年夏前の下書きなのだけれど、誰の何の話をしているのかさっぱりわからない。わたしはゴミですか?それとも生ゴミ生成生物ですか。?

おわり、またね。

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