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娘が約束を守らなかった。

娘が約束を守らなかった。昨日のことである。

私が娘を保育園に迎えにいくとき、たいていはほかの3、4人の子どもたちのお迎えと一緒になる。最近の現象として、同じタイミングでみんなで外に出ると、子どもたちがみんなできゃっきゃっとふざけながら、ゲートから出された競走馬みたいにダーッと道を走っていってしまうようになった。

こちらが自転車を準備しているすきに間に、みんなでダーッ!と全力でダッシュ。いちおう歩道ではあるのだが、自転車がやたら多い道で、しかも途中で信号がない小さな道路(ごく稀に車が走ってくる)が一箇所だけ横切っているので、危険極まりない。親たちはみんなで必死で追いかけていって、「だめ!」と知らせる。しかし、子どもたちはそれが面白いようで、むしろ興奮し、ふざけきっていて、しかも、集団なので、アウト・オブ・コントロールなのだ。

一昨日はついに、これは一度本気になって言わないとだめだ、と思いたち、走り始めた娘をとっつかまえてとくとくと説教をした。

「絶対に走っていってはいけない。自転車もくるし、車だってくるかもしれない。事故にあったら、痛いし、怪我するし、病院に行くことになる。下手したら、パパやママにも会えなくなるかもしれない。そうしたら、みんなナナが大好きだから、とても悲しむんだよ。だから、道では絶対に走ってはいけない。たとえ他のみんなが行っても付いて行ってはいけない」

娘も最初はヘラヘラしていたが、私があまりにもくどくど言うので、少しだけ真剣に聴き始めた。私は娘に対して強く何かを要求したり、強く叱るこがほどんどないので、最後はベソをかきながら「わかった」と答えた。

「約束だよ。絶対だよ」と私が念を押すと、娘は「わかった、やくそくする。あしたからはしらない」と言う。ああ、伝わったな、と思った。「約束は絶対に破っちゃだめなんだよ。破ったら、どうする?」

その後、ふたりで考えて、「夜ご飯が食べれなくなる」ということに決め、仲直りのハグをした。娘は言語感覚が抜群で、一回いったことはたいてい覚える。たとえば、ある時など8000メートル級のヒマラヤの山の名前(ガッシャブルム、シシャパンマ)などを教えたところ、一回で覚えてしまった。だから、私としては、ここまで言えば娘はきっと約束を守るだろうという予感があり、夕飯抜きという事態はきっとはおこらない、という前提だった。

                                                 ***

そして、迎えた昨夜の「お迎えタイム」。娘もちゃんと覚えていて「ねー、ママ、きょうは走っていかないよ」と言いながら、みんなと一緒に外に出た。

し・か・し。

全く大丈夫ではなかった。娘は昨日と同じ勢いで、ダーー!!と歩道を全速力で走り去っていった。

もう呆然である。ショックでしょうがなかった。あれだけちゃんと話したのに!どういうこと!?

再び必死に追いかけていってとっつかまえると、娘には反省の色がまるでない。

「なんで約束破ったの?昨日あれほど言ったのに」

「あのねー、なんか、やくそくがなにかわからなくなっちゃったんだもん」と平気で言う。

私は衝撃を受けた。あああ、昨日はちゃんと伝わったと思ったのに! どう言ったらわかってもらえるんだろう、とこちが泣きそうになった。

そうして、再び路上で強く説教タイム。今度は、走ってはいけないに加えて、約束を守らないといけない、という要素まで加わったのだ。私なりに最大限の威厳と強さを持って叱り飛ばした。娘は、最初はまたヘラヘラしていけれど、最後はまた泣きながら、「ごめんなさい。明日はぜったいやくそくまもる」と繰り返した。さすがに今度こそは、身にしみたような感じがあった。

そこで私を悩ませたのは、前日の「約束を破ったら、夕ご飯抜き」だった。

ここで私が、「じゃあ、いいよ、明日から守ってよ」と折れてしまったら、私の方が逆に約束を守れない人になってしまう。それは、娘に「約束を破ってもなんにも問題ない」という間違ったメッセージを与えてしまうことになる。

大いに悩んだ。ルールはルールだとちゃんと教えないといけない。ここが肝心だろうと思った。

「約束を破ったからには、ナナに今夜ご飯を食べさせることはできないよ」と告げると、ここにきて娘はようやくことの重大さを悟ったのか、わんわんと激しくく泣き出した。

「おなかすいたよーたべたいよ!ママのいじわる!」と言う。

「意地悪じゃないんだよ。ナナが大好きで、わかって欲しいからいってるんだよ」

私の頭の半分では、「ああ、泣いちゃって可哀想だなあ」と思いつつも、「いや、交通事故にあってからじゃ遅いし」というふたつの思いが激しく交錯し、自分も大混乱である。

思い返すと、私の母はとても厳しかった。なにかあると、とことん強く叱責され、時には玄関から外に追い出されることもあった。泣きながら謝ると、ようやく家に入れてもらえるのだ。あまりいい思い出ではない。

だからだろう、私はこういった感じの子育てはあまりしたくないという思いがあった。しかも、娘は不妊治療&高齢出産でようやく授かった一人っ子なので、どちらかといえば私も夫も溺愛モードで、よく言えば「怒鳴らない、怒らない子育て」、悪く言えば「やや甘やかし気味な子育て」を実践していた(特に私)。

なにか問題があるときは、何事も話し合って解決したいと思いつづけていたので、前日は誠意を持ってこんこんと話し、ちゃんと約束をして「ちゃんとした親の役割」を終えた気分になっていた。

しかし、娘は約束を守らなかった。

さすがに、ここではちゃんと叱らないとだめだ、と思い直し、自分なりに厳しく叱責した。

娘は初めて私に本気で怒られたので、わんわん泣いていた。「ママおこらないでよー!あしたはやくそくまもる。わーん、しゃっくりが出すぎて、しゃべれないよー!」

私は悩んだ末に家に戻ると、夫のイオくんに娘を託して、家を一回出ることにした。「約束破ったら夕飯抜き」を実践するためだ。

「ママは、もう今日は夕ご飯を作らないから。あとは好きにして」
「約束破ったら夕飯抜き」という約束をしたのは、私と娘なので、イオくんが食べさせるぶんには別に問題ないだろう、ということにした。全くもって気弱な折衷案である。

効果があったのかはわからない。2時間後家に戻ると、娘はカレーを食べ、いつも通りに上機嫌で「ねえ、なんでママどこかにいっちゃったのー?」と言う。やれやれと脱力する。

子育てって本当に、本当に簡単じゃない。毎日が分かれ道のすごろくのよう。日々、滑り台を一緒に滑り、電車に乗り、美味しいものを食べさせ、素敵な人に出会わせ、同じを何十回も読み効かせ、いやがる薬を飲ませ、文字や数字を教え、音楽を聞かせ、すごろくを作り、サイコロを振って……。

その連続のなかで、娘はいつしかひとりの人間に育っていくのだ。なんて壮大な実験をしているのだろう。子育てに正解はない、というけれど、自分のやっていることは、子育てのプロから見たら間違いだらけなのかもしれない。でも、私は、一方的に厳しく叱責するのではなく、あくまでひとりの人間と人間として、付き合っていけたらいいな、という思いだけは変わらない。それだけに難しい。

さて、娘は約束を守れるのか。それがわかるのは今夜のことである。

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