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午前四時の試写室 (前編)

映画について少しずつ書き溜めていきます。以下の文章は、『図書』(岩波書店)4月号『午前四時の試写室 (前編)』として掲載されたものです。この続きは、同誌の7月号に掲載されている『午前四時の試写室(中編)』で読むことができます。中編のnoteでの公開は8月以降に行う予定です。

 二〇二二年の二月一〇日午前五時五〇分――。

 私と友人の三好大輔は、制作中のドキュメンタリー映画の試写をしていた。場所は、私の自宅マンションのリビング。夜半まで編集作業を続け、いったん仮眠をとり、家人が眠っているさなかの午前四時から試写を始めるというのがこの頃の習慣だった。プロジェクターで壁に映像を投映すれば、即席の試写室ができあがる。まだ映画のタイトルは決まっていなかった。
 エンドロールが流れる。続いて喫茶店のシーン。画面が暗転。その瞬間、よし! と思った。それまで彷徨っていたシーンがあるべき場所におさまり、いきいきと動いていた。

 「流れたね」

 窓際の椅子に座っている三好に声をかける。すると彼はぱっと目を逸らして、窓の方を向いた。私が話そうとすると、急に両手で顔を覆った。
 えっ? 彼は泣いていた。

 映画の主人公、全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんとは、その三年前となる二〇一九年初頭に、共通の友人・マイティの紹介で出会った。
 「白鳥さんと一緒に作品を見ると本当に楽しいよ、今度一緒に行こうよ」という彼女の一言が、全てのはじまりであった。全盲の人がアートを見るってどういうこと? 触る? 感じる? そんな疑問が頭にぐるぐるし始めたのは、美術館に向かう地下鉄のなかでのことだ。
 実際に会うとすぐにわかった。彼は、なるほど、言葉でアートを見るひとであった。
 最初に一緒に見たのは、ピエール・ボナールの《犬を抱く女》。私とマイティは、絵画のなかの人物や犬の様子、服や壁の色、食卓の上にあるものなどを描写していった。白鳥さんはたまに「ふうん」「へえ!」などと相槌を打つだけだが、楽しそうではある。問題は、我々も全く予備知識のない作品なので、描写も解釈も適当きわまりないことだ。しかし、彼はそれこそが良いのだと言う。「みんなで一緒に見て、そこで起こることが好きなの。だから、説明が正しいか正しくないかはどちらでもいい」というスタンスだ。
 何作か一緒に見るうちに、マイティの「面白いよ」の意味がわかってきた。細かく観察し、言語化し、感想をシェアするうちに、それまで見えてなかった絵のディテールが見えてくる。最初は、私たちが白鳥さんに絵を見せてあげる、という気分だったが、逆に彼に絵を見せてもらっているような不思議な感覚になった。
 その後私たち三人は、日本全国の美術館をめぐった。私はその体験や会話を一冊にまとめ、二〇二一年九月に『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)を出版した。

 映画の撮影が始まったのは、本が出版される一年以上前で、二〇二〇年の夏のこと。世界はコロナ禍の真っ只中だったが、私とマイティと白鳥さんは、宿泊できるアート作品、《夢の家》(マリーナ・アブラモヴィッチ作)を体験するために新潟を訪れるというお気楽な計画を立てていた。《夢の家》は文字通り夢を見るために作られた場所で、棺桶のような奇妙なベッドで布団もかけずに眠る。蒸し暑い夏の夕方、私たちはたくさんのビールを買い込んで《夢の家》に向かった。白鳥さんはそこでどんな夢を見るのだろう?「私たちが夢の家にいるところを撮ってくれない? 五分くらいの映像を作りたい」と映像作家の三好に声をかけたのは、新潟に行く直前だった。彼は大学時代の同級生で、とても忙しい人なのだが「いいよ」と軽やかに答え、撮影機材一式を抱えて新潟に現れた。そして五分の動画を作るために、二日間で一二時間もカメラをまわした。夢の家の一夜は修学旅行のように賑やかな時間だったが、後にカメラが捉えた映像を見ると、静かな時間にも見えた。
 三好と出会ったのは日本大学藝術学部放送学科のキャンパスで、三〇年以上前のことである。テレビ放送のあれこれについて学ぶ学科だったが、私は映像技術をなにも学ばないまま卒業してしまい、その後も映像とは無関係の仕事についた。一方の三好は大学で学んだことをダイレクトに活かし、音楽番組や広告の制作にどっぷりと携わっていた。

 「五分くらいの映像」を作るはずが、いつしか一本の劇場用の長編映画を作るという話に発展していった。しかも、共同監督というあまり聞かない体制でやってみたいと三好は言う。私はそれってなんだろう、と思いながら、気がつくと「じゃあ、そうしよう」と答えていた。
 新潟の後は、茨城、東京、福島に旅をする白鳥さんを追いかけた。ドキュメンタリーに台本はない。また撮影する場所を綿密に事前に選んだり、設定を作り込んだりもできない。逆にそういった作り込みや計画を手放すことにより、予想がつかないことや意外な言葉が撮れたりすることがドキュメンタリーを面白くしてくれる。

 そして、全ての撮影を終えた二〇二一年の秋には、編集作業に入った。
 編集に入るまえに私がやるべきことは、撮影された映像を見て、情報を整理し、構成に落とし込こむことだ。三好はとにかく朝から晩までカメラを回す人なので、膨大な映像素材があった。私はこれまでノンフィクションの書籍を書いてきたので、音声から文字や情報を起こすことには慣れている。しかし、素材は一〇〇時間分くらいある。しかも、ひたすら延々と続く会話や雑談も少なくなかった。それを見ながら文字を起こし、ひとつの道筋に向かって取捨選択していく作業は思ったよりもずっとキツかった。
 最初の構成案ができあがると、それを三好が一通りの映像にまとめる。原稿でいうところの、ざっと書いてみた状態である。まだ粗い編集なので、長さは三時間くらいある。

 それを見て突きつけられたのは、私は活字の世界で生きてきた人間だ、という当たり前の事実だった。どうしても私は、活字として強い言葉を軸にして構築しようとしてしまう。しかし、どんなに強い言葉でも映像で見ると強いとは限らない。
 例えば、白鳥さんのインタビュー映像がその例だった。文字起こしした段階ではものすごくインパクトがあるのに、実際の映像ではあまり熱量や感情を感じられなかった。また、同じ話を別の日にしているところを確認すると、最初に聞いた話より、後日聞いた同じ話のほうが好ましい話しぶりである。活字ベースの作家としては、それらを有機的に合体させられたらいいな、などと思うのだが、映像ではそれができない(だって、映像の途中で服が変わっていたりしたら、見る方も混乱してしまう)。うーむ、私の物書きとしての従来のやり方は、半分くらいは役にたったけど、半分くらいはむしろ邪魔になった。
 改めて素材を見ると、映像だからこそ伝わること、――たとえば微妙な表情の変化やしんとした風景など――、絵や音だけでも心を捉える場面もたくさんあった。だけど、映像にせよ言葉にせよ、強いところだけを寄せ集めても「映画」にはならない。
 同時に、三好がいいと思う場面は、私とは異なる部分であることも少なくなかった。だから時に議論は出口が見えない膠着状態に陥るわけだが、「共同監督」なので、ただお互い納得するまで話し合うしかない。そのたびに「じゃあ、ためしに編集してみよう」ということになる。しかし、これがまた大変なのである。文章だったら、ちょこちょこと数分で直せるような修正も、映像だと半日くらいかかる。心からうんざりすることもあったが、私たちはなんとか前に進んでいった。

 途中でさらに予想外のできごとが起こった。あてにしていた文化庁の助成金が大幅に減額になり、製作費が持ち出しになってしまったのだ。こうなると映画を上映できない限り、赤字を抱えることになる。
 幸いにして、配給会社は撮影の段階からほぼ決まっていた。あらかた編集が済んだ時点で、一度配給プロデューサーに見てもらった。すると、まあまあコテンパンないいぶりで、尺を九〇分以内に収めるべきだと強調し、いくつかの場面と登場人物を「全カットで」と言った。それらは、私と三好が愛着のある部分だった。私は胸の痛みを覚えながら、コメントを受け止め、構成を練り直した。なるほど。制作サイドの愛着のある部分というのは、編集で捨てきれない場面であることも多く、往々にして全体の流れを阻害してしまう。どんなに思い入れがあろうとも、作品全体の邪魔をする部分は未練なく切れ! というのは書籍執筆でも鉄則である。私たちは、話し合い、編集し直した。二〇二一年の年末には九〇分台に収まった映画で初号試写を行った。見てくれた人の反応は悪くなかった。映画は確かに良くなったように見えた。ただ、唯一、あれ……、と思っていたのは私と三好だった。その後、私たちは再び長いこと話し合った。また編集を始めた。朝四時からの試写が何度も続いた。二月一〇日の朝にはいくつかの削られた場面や登場人物が復活し、映画は再び一〇〇分台になっていた。

 三好が流した涙の理由はいまも知らない。とにかくその翌日、私たちは配給会社に断りのメールを送った。そして私たちは自主配給という未知なる道を歩み始めた。つまり、配給会社とは契約せず、自分たちで映画を届けていくという道である。映画業界での経験がまるでない我々には実に無謀な試みだが、こうなったら仕方がない。どうだろう。この原稿が世に出る頃には、どこかの街の映画館で上映されているかもしれないし、そうではないかもしれない。映画のタイトルは『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』である。
(かわうち ありお・ノンフィクション作家)

※映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』(アルプスピクチャーズ)は、全国映画館で順次公開中です。詳細は、映画公式サイトhttps://shiratoriart.jpをご覧ください。


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