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『模造の人』

昨日の夜、好きだった人の夢を見た。

こんなに好きな人は二度と現れないと思っていた。

ほんの数ヶ月だけ、そんなふうに思っていた。


 同学年の同学科の彼は、二浪で二つ年上だった。そのせいか、少し大人びて、なにか気になる存在だった。般教のころは授業で顔を合わせる程度だった。専門に進級してからは少しだけ話をする関係になっていた。だけど、それだけだった。

 2年の後期、学生実験の時、彼の言った何気ない言葉に心が響いた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 素敵な言葉だった。

 モラトリアム気分の私たちと違い、彼の視線はすでに社会のどこかに向けられていて、いつも現実世界での矛盾と格差に対して、何かしらの思想を抱えているようだった。そんな雰囲気が、彼を大人っぽく見せていたのかもしれない。彼が自然に発する言葉には、所々にどこか美しい表現が散りばめられていて、彼のアーティスティックな一面が垣間見えた。

私はそんな彼が好きだった。

 どんな経緯だったか覚えていないが、私たちは付き合うようになり、その年のクリスマスを一緒に過ごした。私たちは二人ともお金がなかったから、カーマでメーカーのよくわからない格安のホットプレートを、アルビスで安い牛肉や食材と、何でできているのかよくわからないクリスマスの飲み物を買って、彼のアパートで二人っきりの質素なクリスマスパーティーをした。二人とも決して裕福な家庭環境ではなかったので、実はいわゆるクリスマスパーティーというものをよく知らなかった。しばらくの間は、お互いそのことをひた隠し、知ったかぶっていたが、とうとう良心の呵責に耐えられず、どちらからともなく、どうしていいものか分からないとなって、恥ずかしいやら可笑しいやらで、ずっと二人でくすくす笑っていた。そんな些細なことでも、お互いのことを少し分かり合えた気がして、その時はとても幸せな気持ちになれた。

その日の夜、私たちはとても幸せだった。

 時間が経つにつれて、逆に些細なことが気になり始めた。とても大人びていた彼の発言は、実はただの理想主義で、なんの現実性も持たないことや、いつも夢見がちで、お金がないのにアルバイトすらしようとしない彼の根っからのヒモ体質にも呆れ始めていた。ただ、私はというと、頼って来られると弱くて、ついつい甘やかしてしまっていた。いつのころからか私と彼は、お互いの立ち位置が逆転していた。

それでもまだ幸せな気がしていた。

 気持ちが離れるときはあっけない。子供じみた彼の言動は、私を幾度となく落胆させ、彼に見た大人っぽい仕草は、彼の単なるポーズで、とても中身の無いものだった。

彼は単なる模造品だった。

 この時、こんなに好きな人は二度と現れないだろうと思ったけれど、この後、”こんなに好きな人は二度と現れないと思える人”が、世の中にはたくさんいるとわかった。

 みんなみんな模造品だったけれど、いつのころからかそんなことは忘れてしまった。

そして、私はその中の一人と結婚した。

 そして昨日の夜、”こんなに幸せにしてくれる人は二度と現れないだろう”と思ってる滑稽な自分にまた気付いてしまった。

彼も模造品・・・




おわり

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