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求め続けた「理想の生活」とは?成人ADHDと診断された私は理想をどうやって手に入れたのか

先日、「理想の生活を手に入れました」とTwitterに投稿しました。沢山の方にいいねと、労いの言葉をかけていただき、心がとても温まりました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

さて、私のTwitterのbioには「ADHDだけど理想の生活を諦めない」、そしてブログのタイトルは「成人ADHDが理想の生活を諦めないブログ」とつづってあります。でも今まで一度も、具体的な「理想の生活」について言及したことがありませんでした。

そこで、「理想の生活」への到達を記念して、私の「理想の生活」について少しだけお話したいと思います。

欲しいのは普通の幸せ

あまりにアッサリしていますが、私がずっと欲しかったのは普通の幸せです。
普通に仕事をし、普通に恋愛をし、普通に結婚・出産し、普通に友達とお茶をして、普通に親孝行して、普通に苦労しながらも楽しく生きる。
これ、この時点でも共感してくださる当事者の方多いんじゃないでしょうか。子供の頃より普通から遠かったからこそ、望んだ理想は『普通』だったんです。

とはいえ、私の人生が「『普通』ではない」というには語弊があります。ある意味では私は至って『普通』の人生を歩んでいるからです。お金持ちでも貧乏でもない両親そろった家に生まれ、友達も少ないながらにいて、恋人もそんなに途切れずにいました。大学を卒業し、新卒で入った会社で6年勤め、29歳で転職して今に至ります。

時折、「付き合っていた人に首を絞められる」とか「レイプされかけた相手から善意でプレゼントを贈られる」とか「医者のいない孤島で骨折する」とか「深夜、自宅に不審者が押し入る」とか「別れた男が婚姻届けを持って復縁を迫ってくる」とか普通の人があんまり経験しなさそうな事件にも巻き込まれてはいますが、表面上はむしろ恵まれている方だと思います。笑

ですが、自分の主観的な視点だけでみるととても苦しい四半世紀を送ってきました。(主観的視点による苦しみについては、ブログの方にも詳細を書いています)まず私は性的マイノリティですから、それだけでも周りとの壁を感じます。高IQゆえに同世代とは話が合わないですし、私の考えを理解してくれる人は長い間いませんでした。そのうち解離性人格障害になり、社会に出てからはADHD特性ゆえにパワハラを受けたり、彼氏からモラハラを受けたり。

一見普通の人生を歩んでいるように見えても、他人を信じられず、何より自分を信じられず、孤独でしかなかった私が欲したのが『普通』です。

たどり着いた「理想の生活」=『普通』

今私がたどり着いた「理想の生活」は、本当にささやかな『普通』の積み重ねです。

転職した仕事先では、今のところ売上も上々。部署の人も皆優しく、一緒にランチをしたり、仕事のことで知恵を出し合ったりして楽しく仕事をしてます。朝「会社に行きたくない」と思う日がほとんどないのが転職成功を実感するポイントです。

特性がわかってから今までの人との付き合い方を見直して、友達や同僚と定期的にお茶・飲みに行ったり、ADHDを通じて知り合ったフォロワーさんと親しくなれたり、距離感を保ちつつ本音を言える人も増えてきました。

ADHDと診断されてから色々あって元彼とは別れてしましましたが、婚活をしたり、コミュニティを広げていく中で、前からずっと「素敵だな」と思っていた男性とご縁があって付き合うようになりました。彼は私に暴力をふるうことはないし、モラハラも依存もしません。私も彼に依存しません。2人がそれぞれ別の生活をし、一緒にいるとお互いの生活が一層豊かになる、そんなパートナーです。

何より、一時期は「毒親」とさえ思った母親と和解し、良い距離感で付き合うことができるようになりました。(もちろん、同じ家で住むのは、まだちょっと難しいですが)

なんてことないこの1つ1つの健全さが、ずっと私が喉から手が出るほど欲しかったものであり、私の求めていた「理想の生活」そのものでした。

なぜ、「理想の生活」は手に入ったのか

なぜ「理想の生活」が手に入ったのか、これは胸を張って「自分の努力である」と言いたいと思います。寝ていたらいつの間にか手に入ったものではなく、棚から落ちてきたものでもありません。

まずは自分の特性を理解することから始めました。ADHDの特性で周りに迷惑をかけないように、自分がやりたいことを諦めずに済むように、特性を受け入れ工夫すること。

そして、自尊心の低さや自分のメンタルの弱さ(HSP)を理解し、受け入れて工夫をすること。自尊心を上げるために日々をトレーニングとして認知療法をしていくこと。

何よりも、一歩を自分から踏み出すことが大きかったです。
自分を知ろうとする一歩、変わろうとする一歩、受け入れようとする一歩。
6年勤めた会社を辞める一歩、新しい仕事にチャレンジする一歩。
人に笑顔を見せる一歩、誘われた集まりに顔を出す一歩。
好きな人に自己主張する一歩、愛情を素直に受け入れる一歩。
母親と話し合う一歩、母の謝罪を受け入れる一歩。

どれも今までの自分が『怖くてできなかった』ことです。
これまでは「でも、だって、○○だからそれはできない」とそれらしい理由をつけて、変わることから逃げ回って諦めたフリをして、「自分はこうだから仕方がないんだ」と思い込もうとしていただけでした。

でも私は『諦めたくない』と思ったので、少しずつ踏み出していきました。その一歩一歩が間違いなく今に繋がっています。


行動がすべて

『考えが変われば行動が、行動が変われば習慣が、習慣が変われば人格が、人格が変われば人生が変わる』
私がずっと心に秘めている「七つの習慣」に出てくるフレーズです。

発達障害に関するいろんなことを調べても、新しい考え方を知ってそれに賛同しても、実は何も変わらないと私は考えています。
上記のフレーズの通り、『行動』を変えなければ『習慣』も『人格』も、そして『人生』も変わらないからです。

『考え』が変わってきたのであれば、それを『行動』に移すこと。何度も失敗し、何度もくじけそうになるのですが、勇気をもって一歩一歩を踏みしめていくことで、いつの間にか自分自身が生まれ変わるのだということを身をもって経験しました。

私はこれからの人生も、常に変わって一歩を踏み出し続けます。
そして必ず今よりもっと素敵な『理想の生活』を送りたい。
過去にどれだけ苦しみ続けていても、自分さえ変われば見え方が全く違うのです。

私の一歩の話が、一歩を踏み出せずにいるどなたかの一助になることを願っています。


P.S. 私がここにたどり着くまでの約2年半、支えてくださったすべての大切な人たちに感謝を申し上げます。本当にありがとう!!

ご覧くださりありがとうございました。 サポートいただいた分は、発達障害の当事者支援のためのブログ運営費や、活動費に宛てさせていただきます。