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四十にして惑わず、などと言ってないで、枠を越えろと背中を押されました

久しぶりに安田登さんの
「身体感覚で『論語』を読みなおす。」
を読みなおしています。


この本のおかげで、
私の視野が広がりました。



論語の中でも有名なのは
「四十にして惑わず」。

なぜだかこの一文のインパクトって
めちゃくちゃ大きいのよね。


40歳になったら惑わず・・・なんて
ないぜーーと受け取りがたいからこそ
記憶にのこってしまうのかもしれません。


でも。
安田さんの説によると


「心」という概念は
孔子の時代にはあたらしいものであり
その「心」が入った「惑」という漢字は
まだ誕生していなかった、と。

なので「惑」ではなく「或」ではないか
と安田さんは言います。


或は「わけること」「境界を引くこと」。

「心が狭い枠に囲まれること」
なのだそうです。





40,50ぐらいになると
「私はこんな人だし」とか
「自分はこれぐらい」とか
「こんな性格だし」とか
「自分の人生こんなもの」と
自分を枠に閉じ込めがちです。


「四十にして或わず」

とは

「そんなふうに自分を限定しちゃあいけない。
もっと自分の可能性を広げなくては」
という意味になります。



私がこの本を初めて読んだのは
40歳になって少したった頃でした。

当時、とてもタイムリーに受け取ることができて
意識がひらきました。




「心」という漢字は
紀元前1000年くらいに
生まれたそうです。



いまから、3000年前くらいに
人間は「心」を持ち始めたようですが
だからといって

すぐに、心と上手に付き合えたかというと
そういうわけでもない。


実際、「心」のつく漢字が
爆発的に増え始めたのは


「心」の文字が誕生して
1500年後くらいだそうです。


そうした「心」の世界が
誕生するまでの過渡期に

孔子は、人々に
心の扱い方を教え始めたということ、


そして、孔子が伝えた心の扱い方を
弟子たちがまとめたのが「論語」
になるということ。



ちょうど、いまも
3000年前と同じような状況かもしれません。


AIが登場して
どんどんと仕事がAIに奪われる
という懸念もあるようですが


だからこそ
人間だからこそできることを見つける
よい機会になるのだろうと思います。

そして「心」がキーワードだ
と思っています。


NLPという心理学を学んでいる今
また読み返してみると
NLPと重複することも多々あり
(そして、NLPを学ぶだけでは足りない「本質」も透けて)

さらに学びが立体的に浮き上がってくる心地。


3000年前の人々と
現代を生きる私たちに通底するもの
を感じられて、しびれております

あなたの清きサポートでますますがんばれます٩( 'ω' )و サポートしてくださった分で見聞を得て、またおかえししていきます。