見出し画像

アーティゾン美術館 ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話に行ってきました

会期終了してしまいましたね・・。
アーティゾン美術館は2020年に新しい建物になりました。
美術館の中は美しく、洗練されていて立派です。
(本当に立派という言葉がふさわしそうです)

森村泰昌
1951年大阪府生まれ。
絵画(例えば代表的なものではゴッホ)の中の人物に扮し、ポートレイトを作成している作家です。

ジャム・セッションとは

ジャム・セッションは、アーティゾン美術館のコンセプト「創造の体感」を体現する展覧会です。アーティストと学芸員が共同して、石橋財団コレクションの特定の作品からインスパイアされた新作や、コレクションとアーティストの作品のセッションによって生み出される新たな視点による展覧会を構成します。過去から現代、次代へ向けての架け橋となるプロジェクトを目指します。今後も、毎年一回開催する予定です。

アーティゾン美術館HPより https://www.artizon.museum/exhibition/past/detail/64

今回はコレクションの中から青木繁の作品が選ばれています。

青木繁
1882年福岡市生まれの洋画家です。元々は下級武士の家で厳格な父親の元で育ちました。
東京美術学校西洋画科選科で黒田清輝から指導を受けていたそうです。
この間に白馬会で賞を取ります。
1904年東京美術学校を卒業してすぐ、代表作である「海の幸」を描きます。
「海の幸」のモデルである恋人との間に男児が誕生し、さらに実家の父親も亡くなりますが、
どちらも支える余裕がなく、放浪生活を送ったそうです。
1911年、28歳で肺結核で亡くなっています。
明治期の画家では多い印象ですが、あまりに早い死が残念でなりません。

展覧会は序章+3章の構成になっていました。

序章

序章では青木繁とモリムラの自画像セッションを、

森村泰昌の言葉 アーティゾン美術館パネルより

こちらは2016年に森村が作成していた作品も入っています。
サイケデリックで現代的な自画像・・・と思いましたが、背景は当時の下宿先の金唐草模様とのこと。
私は個人的に、青木は様々な画風の自画像を描いていることから、新しいことにチャレンジしよう、という気持ちと、自信のようなものを感じました。

森村の方のポートレートは、自信のようなものも感じながら、どこか不安げ?この先の青木の運命を暗示しているかのようです。


第1章

第1章では、素晴らしい青木作品の数々を展示し、私はそれらの作品に返歌のような言葉を寄せました。

森村泰昌の言葉 アーティゾン美術館パネルより

青木の作品の実物と森村の言葉が入った展示になっていました。
海の風景画や神話にまつわる絵が展示されていました。
青木は神話をテーマに多くの絵を描いています。
その中の展示で、海の幸を見ることができました。

一人、こちらを見る人物は、青木の恋人であった福田たねがモデルと言われています。
私は、大学を卒業したばかりの若者たちが、千葉県の海辺に滞在して絵について語り合ったり、「いわゆる青春」を送ったのだろうなと想像しました。これだけの作品を作っているので遊んでばかりではもちろんないと思いますが、その時の二人の関係性が垣間見える、少なくとも、幸せを感じる作品だなと思いました。


第2章

第2章は、いわば私の《海の幸》研究です。私がいかに青木という画家と《海の幸》に向き合ったのか。そのプロセスの一部始終をお見せいたします。

森村泰昌の言葉 アーティゾン美術館パネルより

森村が作成した10作品の背景となるジオラマが展示されていました。
かなり精巧に作られていました。
さらに、作品作成にいたるまでの膨大なスケッチが展示されていました。

森村の《海の幸》の解釈はインタビューで下記のように書かれていました。

 そこでまず僕は、《海の幸》を「人間の物語」だと考えました。人間は海から陸へと上がり、自分の足で歩き出す存在となっていく。人間は歳をとるけど、次の世代がまた新しい時間を歩き出していく。なぜ画面の左が描かれていないのかというと、それは青木繁にとっての未来だからです。描き足されるべき世界を描かないというのは、青木繁からの「我々人間はどこに行くのですか?」という問いかけではないでしょうか。しかしながらその問いを、我々人間はちゃんと受け継いでこられたのだろうかという疑問が僕にはすごくあるわけです。だから僕はその続きを自分なりに見つめ直したかった。

出典:美術手帖HP 森村泰昌はなぜ青木繁《海の幸》に惹かれるのか? 10連作《M式「海の幸」》に込められた意図を探る https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/24712


第3章

そして第3章。ここでは《海の幸》をテーマに作成した10点の大作《M式「海の幸」》をご披露いたします。

森村泰昌の言葉 アーティゾン美術館パネルより

大きな展示室に入ると、10点の森村作品が展示されています。それぞれ120×280cmの大作です。
明治時代から現在と時間が流れていると取れる作品です。
これらはスタッフを付けずにほとんど一人で作成したとのことで、作家の気合を感じました。
最後の土偶の人物?の持つ棒は森村の海の幸につながっています。

お美しい・・・!
こちらの背景は青木繁の絶筆である「朝日」が背景の元になっていると思われます。
最後の土偶の人物?の持つ棒は森村の海の幸につながっています


《ワタシガタリの神話》

第1章の映像作品《ワタシガタリの神話》もお忘れなく。

森村泰昌の言葉 アーティゾン美術館パネルより

青木繁の格好をした森村が青木繁に語りかける、という映像作品です。
大阪弁で、元気よく、青木繁に語りかけていました。


福田たね

最後に展示されているのが、
「海の幸」でこちらを見ていた福田たねです。

 この展覧会の序章は男性の顔(自画像)で構成されているんですが、そこと最後の福田たねさんをモチーフにした作品はペアになっていて、その間にいろんな物語が挟まっているという構造です。

出典:美術手帖HP 森村泰昌はなぜ青木繁《海の幸》に惹かれるのか? 10連作《M式「海の幸」》に込められた意図を探る https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/24712

すごく、考えられた構成の展示ですね・・!


全体的な感想

明治という時代は、欧米列強の国にどうにか対抗していこうと近代化を始めたばかりですよね。
新しい時代に強い思想を持っていた日本人のうちの一人の青木繁は、決して屈せず、画家として生きた人なのだと思います。
青木繁が生きた明治、その後の日本を、森村泰昌は表現をし、これからの未来をも暗示していた展示のように感じました。予想もしなかったいろいろな出来事、それらが全て、神話のようなものでもあるように思えます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?