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なぜ勉強しなければいけないのか

学生はなぜ勉強しなければいけないのか。
多くの人はこの問題にぶつかる。

なぜ私は、好きでもないものを覚えているの
だろうか。
好きでもないものを学ばなければいけないの
だろうか。
将来の選択肢を増やすため?
嫌なものを努力して続ける練習?
やらないよりはやった方が良いから?

私の結論は、こうだ。

「勉強は、自分を成長させるための道具である」


だから

「勉強の必要性がわからないのであればする必要はない」


この説明をしていく。
①まず「道具」と表現したことに関して。

道具とは、正しい使い方をしないと意味がない。
ハサミは、物を切るために使う物であり、
間違っても人に攻撃してはいけない。
インターネットは、知識を得たりするのに
使うものであり、誹謗中傷するために
使ってはいけない。
道具は、間違った使い方をすると
「人を傷つける」可能性がある。
なので、「勉強という道具の使い方を知らない
のあれば、しない方が良い」
自分も他人も傷つけてしまうからだ。
ところで
勉強はどんな道具か説明できる人はいるだろうか。

勉強の良いところをあげる


・一人でも自分を成長させられる道具
・一度身についたものはほとんどなくならず、
 一生使うことができる道具
 (知識だけではなく、経験や努力も含めて)
・先人達が、とてつもない努力をして、私たちに残して
 くれた経験・知識・知恵を簡単に自分のものにできる道具
・忍耐力や自信を身につけることができる道具
・将来の選択肢を増やすことができる道具
など

逆に勉強の間違った使い方をあげる


・勉強ができるようになって、できない人を見下す
・自分に活かすのではなく、他人を批判するために使う
・勉強のしすぎで、コミュニケーションができなくなる


つまり
勉強はどんな道具かの正解は一つではないが
間違った使い方=人を傷つける
ために使ってはいけない道具であると考える。

②次に、自分を成長させると表現したことに関して

3つのことを考えてほしい。
1つ目
少し大きすぎるが

「何のために人は生きているのか」

である。

これにも正解はないが
私は、「人の役に立つため」であると思っている。
誰かの役に立てた時に、行って良かったと思え、
人生の価値を実感することができるのではないだろうか。

これを踏まえた上で
2つ目

「何のために勉強するのか」

を考える。
自分が勉強するのは、自分のためであるように見えるが
もっと突き詰めていくと、違う気がする。
勉強という道具を正しく使うことを意識すると
「人の役に立つため」
に勉強するのだと思う。

なぜか。
自分が勉強し満足して終わりということは
意外と少ないからだ。
自分で勉強したことを、誰かに共有したりするなど
人の役に立った時に初めて
「勉強して良かった」と思え
「自分の存在意義」を実感できる。
勉強という道具の使い方は、様々であるが
「人の役に立つため」という使い方をすることが
正しい使い方であると私は思う。

勉強は「人の役に立つために行う」と思えた上で
最後に

「どのようにすれば、人の役に立てるのか」

を考える。
それは、勉強によって得ることができる
知識・知恵・経験・忍耐力・努力などを生かして
人に共有したり、人と共感したりすることで
人に対して優しくなれたり、
人に喜んでもらえたりするもの
ことで役に立てる。
単に、周りの人の役に立てるのも素晴らしい。
勉強して、自分でお金を稼いだとしても、
結果として誰かの役に・社会の役に立てているのであれば、
それも素晴らしい。
よって、
「自分を鍛え、成長させ、正しい使い方をする」
ことで人の役に立つことができる。

ここで結論をもう一度言葉を追加して伝える。

「勉強は、自分を成長させるための道具である」

「そして、人の役に立つために使うべきだ」


p.s.  「手紙屋」蛍雪篇 という本を読んでこの考え方になりました。







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