山と瞑想の日々。伝え残し、還元させていくもの。
先日、もはや「ライフワーク」と化している高尾山に行って来ました。
まあ、高尾山が好きってのもありますが、いかんせん近いので、サクッと「山を歩きたいなぁ」と思った時に行けるので、どうしてもしょっちゅういくことになります。
と言っても、今回は「奥高尾」と呼ばれる、いわゆる高尾山より奥です。
サクッと、小仏城山へ行き、
まだ早かったので、お隣の景信山へ。
いい汗を流せました。
さて、何度も行ってるけど、間の小仏峠で、こんな古い石碑。
江戸時代のもののようです。
明治天皇が休憩された場所。
明治天皇が、ここに来ていたんですね。なんで来たのでしょう?ハイキング?いや、そんな目的では来ないと思います。
江戸の「風水」上、明治期になり天皇が東へ移る際、より強固な結界を求めたと思います。自身で直接足を運んだのかな、と思ってしまいました。
まあ、そんなのは僕の空想妄想です(笑)
日本中、いろんなところへ行きますが、とにかく「山」が多い。
それはつまり、森林が多いってことです。
日本が「水資源」が豊かなのも、緑が豊富な山が多いからです(だからこれを狙われて、ガンガン外国人に買われています。てゆーか売っています)。
中東や、北アフリカのサハラ砂漠、ゴビ砂漠など、世界には荒涼とした砂漠や荒野がたくさんあります。
日本の国土面積丸ごと砂漠、なんてザラにあります。
その事実だけ見ると、例えば中東はずっと昔から砂漠や荒野だったのかと思われそうですが、実は数千年前は豊かな緑があったといいます。
現に、エジプトのピラミッドやスフィンクスは、水に侵かっていたような跡もあったり、豊富な作物が取れたという記述もあります。
「気候変動のせい」というのが定説ですが、確かにその影響もあるのかもしれませんが、どうして「乾燥気候」になったのか?を考えると、そこに「森林がなかったから」という説もあります。
森林があると、そこに水資源が蓄えられますし、河川が流れ、そこから上昇気流で湿気も上がり雲を発生させたり、一言では言えませんが、いろんな事情があると思います。僕は専門家ではありませんが、砂漠化には明らかに「人為的」な要因があると、示されています。
日本はどうして豊かな森林がずっとあるのか?
それは「植林」の文化だからです。
人類は産業革命のあたりから「化石燃料」に依存しましたが、それ以前は「木炭」が燃料です。つまり「木」です。
森林は「エネルギー資源」だったのです。人類は何万年も森林に依存して生きて来ました。
どこの文明もそうですが、人口が増えると大量の「燃料」が必要です。食事や暖房から、土器作り。そして銅や鉄器が使われ出すと、さらに大量の木々を燃やします。
どんどん木を切ります。当然、山は禿山です。
中東があのような状態になったのは、アレキサンダー大王の時代という説もあります。それまで、エジプトや中東にも、そこそこ緑はあったのに、人口が増えて木々を伐採したからと。
で、日本の話です。
日本は縄文時代はともかく、弥生時代からは「たたら」と呼ばれる製鉄が行われていましたし、青銅器や鉄器が使われ、大規模な集落から小国家、そして争いもありました。
大量の燃料を使いました。でも、禿山にも砂漠にもなっていません。
ちなみに、お隣の朝鮮半島は、紀元前5千年〜紀元前10000年ほどは砂漠地帯だったと言われています。
一万年前の遺跡や痕跡はありますが、次の時代が紀元前5000年まで空白の5千年間があるのです。
ちなみに、前5000年からの遺跡は、日本の九州南部のアカホヤの大噴火のあと、移住した縄文人と言われています。
空白の5000年。その前には森林があったのですが、すべてきを切り倒し砂漠化。復活まで数千年かかったという説があります。
古代の日本人は、それを知っていたのでは?だから日本は常に「植林」をしてきました。森が絶えないように。
でも、西洋人や大陸のアジア人も、それは知っていたと思います。森を切り尽くしてしまったら、取り返しがつかないと。
しかし、どうして日本は植林し、他の国では植林をしなかったのか?
これは簡単です。
「自分のため」か「人のため」かです。
考えても見てください。植林って、木を植えて、その木が育って、木材に使用できるのって、何年後ですか?
30年とか50年、木の種類によっては100年単位の仕事です。
植えた人は、その木を使って、恩恵に授かれるでしょうか?
若い頃に植えたら、老人になってから使えるかもしれませんが、中年や老年の人たちも植林はしたはずです。
なぜか?
子の代、孫の代、さらにその子孫のためにやったのです。
ひょっとしたらこれを読んで「そりゃそうでしょ」と思ったかもしれませんが、それは日本人の感覚かもしれません。
他の国ではそのようなことをしてこなかったのです。「自分達」が使う文を使う。以上!
と、ざっくり考えたかはわかりませんが、孫の代まで思いを馳せる人が少なかったのかもしれません。
証拠も文献もありません。僕の勝手な思い込みですし、全員がそんな利己的な人生を歩んだってわけではないでしょう。ただ、総意として、孫の代の環境まで考えなかったのは事実だと思います。
「日本は大丈夫」と安心しない方がいいです。すでに日本の中枢部、政治の本丸は外国の手に落ちていて「今だけ、金だけ、自分だけ」ですから、孫の代どころか、庶民のことなど考えていないかもしれません。
だから今すぐ木を植えろとか、畑を耕せってことではないです。デモを行って戦えってんでもないです。
「心」です。絵空事に聞こえるかもしれませんが、ひとりひとりの心が変わることです。
それが世界を変えます。すべては「全体的な意識」とつながっています。今は全体的な意識が、破滅的な方へ傾いています。そう誘導されているのでしょうけど、「知らなかった」では済まされないのです。
心を変える、その第一歩が「感謝」です。
山を歩いて、豊かな自然を見て思います。
「ありがたいなぁ」
とにかく山は気持ちいいです。緑って気持ちいいです。生命は、人の手では作れません。だから、与えられたこの自然に、感謝しかないです。
この感謝の思いが、世界を変えていきます。
そして「感受性を取り戻す」ことで、人生は創造的になります。
☆ ワークショップ
「つながるからだ、つながるこころ」
5月24日 京都
6月8日 東京
歩く、奥高尾 5月2日 (満席)
歩く、稲荷山 5月22日
サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。