「お父さん」と、時代。
「朝ごはんの時、新聞広げて、顔は見なくて、ほとんど会話はなくて、黙々と新聞読みながらご飯食べて、タバコ吸って…。昭和のお父さんってそんなイメージよね」
妻があるアニメを観て、そのシーンが印象深かったとのこと。
確かに、昭和の時代のお父さん像で、そういうキャラクター設定ってあるなと、僕も聞いてて思った。
「帰りも遅くて、あまり家にいないけど、とても厳しくて」
そうそう。そんなイメージ。
でも実際そういう家庭環境で育った人、多いのでは?
ちなみに僕の家は自営業で、父は常に家にいたし、僕が子供の頃は悠々としていた。妻の家も自営業だったので、上記の「お父さん像」のリアルは知らない。
でも、友達の家で、まったくそんな雰囲気の親っていたし、そういう描写がアニメやドラマでされるってことは、多少デフォルメされてるだろうけど。日本の平均的家庭の“お父さん像”だったのだと思う。
親というものは、子にとって、親子とか血のつながりという“事実”以上に、ある種絶対的な“象徴”でもあり、自分のアイディンティティ(存在意義)を得るための大きな存在だ。
僕はかつてひどく親を憎んだし、呪ったタイプだった。親は自分のアイディンティティでもあるんで、親を呪うくらい憎むってことは、実はまんま自分を切り刻む行為だったと気づいたのは、自分が傷だらけになってから。
やがて僕は親という鏡にむけていた刃を振りかざすのをやめて、「許し」という旅路に出た。そしてその旅路は昨年くらいに終えたような気がするし、そこから諸々のことが落ち着いたと思っている。長い旅だった。まだ、旅の余韻はあるかもしれないけど…。
旅を終えて、僕はようやく親から自由になれたのか?
いや、僕は自由だった。そうではなくて「僕が親を自由にした」のだ。
不思議な言い回しだけど、この感覚はわかるだろうか? 親からの影響で縛られていたと同時に、僕が、僕の中で、父と母を、固定したイメージに縛り付けていたのだ。二人を不自由にしていたのは僕だった。結果として、鏡である自分自身を縛っていた。
お互い自由になった今。父も母も、一人の「個人」であり、そしてその事実をふまえ上で、僕にとっての「親」だ。
それはとてもありがたいものだ。
こんな投稿をしたけど、
母の母子手帳を見た。兄を産んだ歳が「23歳」という事実。
もちろんそれは「知って」いたけど、こうして母子手帳なる、公的な証明として客観視すると、頭で知ってたものとは違う印象があり、その“すごさ”に気づいた。
そう、すごいのだ。
お母さんはすごいのだ。そして、父も同じ歳だから23歳だった。23歳で、二人とも親になり、その3年後には僕も生まれた。26歳で2人の子の親。
「当時は、どこもそんなもんじゃない?」
と言うかもしれない。しかしそれは「世間の話」であり、これは僕と両親との関係だ。世間や社会や時代がどうのこうのって話はどうでもいい。僕にとって、僕の父と母は、すごい人なのだ。
僕の親の世代は、高度経済成長を支えた世代であり、バブル崩壊による栄枯必衰を経験した世代である。戦争を知らない子供たち。
彼らは高度成長期のイケイケドンドンの時代も、バブル崩壊後の不況の時代も、多くの「企業戦士」たちは、馬車馬のように働いた時代ではなかろうか?
彼らの世代(今の70〜80代)のキーワードとして「我慢」という言葉があったような気がする。
多くの男たち、そして女たちも、やりたいとか、やりたくないとか、そんな選択権のないまま、競争社会に放り込まれ、就職し、上司からのパワハラなんて当たり前の時代に、頭を下げて下げて下げて、とにかく働いた。
なんのために?「金」のためであり、それは「家族」を養うために。
主婦はどうったのか? 専業主婦も多い時代だったと思う。
でも、あくまで「平均的」な話だけど、多くの専業主婦の女性だって同様だったのではないかと思う。つまり「我慢」だ。
外の世界で我慢している夫を支えて、時には従順に仕え、ストレスフルな文句を聞きながら、極力自分の意見を我慢し、押し殺し、抑圧しながら、食事、洗濯、掃除、そして子育て。
その中でもたくさんの喜びは誰しもあっただろうけど、なんだか“抑圧してナンボの時代”だったような気がする。
もちろん全員じゃない。しつこいようだけど「平均的」な話であり、かつての「象徴」としてのイメージだ。そんな人たちばかりじゃないし、実際に僕の両親なんてかなり好き勝手やってたタイプだ。(だから後にツケが回ったのかもしれない。因果応報というか、なんというか…)
冒頭に書いた「日本のお父さん像」を象徴するお父さんは、そんな時代を生きたお父さんである。
残業当たり前、休日も上司とゴルフ、週末の夜は得意先の接待。家族を省みず、な男たちは多かっただろう。
まだ「バブル期」はよかった。だってその当時の日本は、「やったらやった分だけ稼げた」だろうから。奥さんも、抑圧しつつも、旦那の給料がたくさんあれば「まあしゃーないか」となっただろう。
しかし、バブル崩壊後に、諸々と給与やらなんやらが下がったり、事業が失敗した人も多いとは思う。
そんな時代を生きてきた、親の世代。
自分が親になると、親の気持ちがわかると、昔からよく言うし、その通り。僕も息子がいて、こうして人の親になったことにより“親の気持ち”をある程度は理解した…、
と思っていた。
しかしそれは“親の気持ち”ではなく、親の立場や、親という責務や大変さへの共感であり、実際に父の気持ちも、母の気持ちもわかっていなかった。
結局、人の気持ちなんてわかりっこないってくらい、この世はとんだ茶番劇のコントなんだけど、それでもこの頃、父を、母を、戦後の日本という一つの時代を生きた、一人の人間として、見れるようになっていた。
今ならもう少し、酒が好きだった親父と、しみじみと酒を酌み交わせるし、病気だった母に、優しい言葉をかけてあげることもできる。歌が好きだった二人と、一緒に歌うこともできる。
「病気が治ったら、家族でステージ立ちたい」と、いつだか母は言っていた。僕も兄もミュージシャンだったから。
無論、この現実の世界では、それらはもう叶わない。
せめて心の中で、一人の人間同士、そして、あなたたちの息子として、ゆったりとした“時なき時”を、過ごしたいと思っている。
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