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座席を隔てた二つの世界

行楽シーズンだ。
僕ら家族4人は、あるミュージアムに向かっていた。5歳半の息子も落ち着かないし、1歳四ヶ月の娘もいろいろ自我が出てきて大変である。
地下鉄は空いていて、僕らはベビーカーと一緒に4人で優先席に座ることができた。
すると、向かいの優先席に5人家族がきて、お父さんは立ち、お母さんと子供3人は座席に座った。
モノトーンの服装の胸には綺麗な花を飾っていて、子供たちも清掃をしているあたり、結婚式に参加するのだろう。
お母さんがいて、隣の中学生らしい長男はちょっと不貞腐れてめんどくさそうだ。真ん中の長女は5年生くらいだろうか。真面目でお母さんと全く同じ髪型のボブ。そして2年生くらいの次男はお母さんに甘えている。 
お父さんはパシッとしたスーツをきている50代中盤くらいだろう。いかにも仕事ができるような出たちだ。真剣に携帯を見て作業してるので、日曜でも仕事のやり取りでもしてるのだろうか。株とか金利のような雰囲気もある。
それは当然、家族の団欒にも入れないのだろう。和気藹々とした母と子3人の隣りに立って、僕は少し同情した。

それにしても、その家族のセレブ感である。きちんとした教育の機会が与えらていることは雰囲気でわかる。「育ち」というのは理屈ではない。向かいに座る我が家族はどうだろう。息子はお菓子!と繰り返し!娘は、ぎゃー!と手を振り翳している。かつて、向かいの5人家族にもこんな時代があったのだろうか。僕は聞いてみたかった。「10年前はどうでしたか?こんな状態でなんとかなるんですか?」ってね。
必死なんです、僕らは。

さて、いっときしてお父さんが優先席の端に座った。かがんだときに、携帯画面がチラッと見えた。

なんと、、「ゲーム」だった。。

どうみてもキャリア組みの出立をしたそのお父さんは、ずっとゲームをしていたのだ。電車に乗り込んだ30分、一言も会話をせず。

唖然とした。そして一瞬、猛烈な怒りが湧いてきた。僕は、こういうステレオタイプの家庭に参加しない男性に対して、猛烈な嫌悪感がある。仮に寡黙であっても、ゲームはどうなんだろうか。それならせめて、ゲーマー的な出立にしてくれよ(笑)。

しかし、怒りは一瞬で収まった。そして、(僕は羨ましいんだな)という感覚を一部、認めた。奥さんが今まで一心にワンオペで築いてきて、それをヨシとしてるのだろう。子供たちもそれでヨシとしてる。それでいいのだ。子供たちは、お母さんとの時間を選び、お父さんはゲームの時間を選んでいる。しかしそれは、長い家族の歴史の一場面なのだ。
そして、その一場面は、確固たる真実を炙り出していた。

ワタワタしている自分のことを、客観的に顧みたような気がする。そして、この子育てに翻弄されながら、悩み、苦しみ、それでもいっときも長く、この子達と関わりたいと思っている気持ちは、嘘偽りない。

僕は、この人生を自分で選んでいる。

それは、誇ってもいいことだ。そして、他のことは些細なことである。

他の家族には他の家族のルールがあり、社会的ルールと迷惑をかけなければ、まぁなんだっていい。ゲームをやって経験値を集めることも必要なんだろう。まさか結婚式の余興で携帯ゲームをやるわけにもいかない笑笑。
いつやるの?今でしょ!

僕は、僕の子育ての中で、少しでも穏やかに、静かに、向き合って叩くことだけなんだなと思う、電車での出来事でした。

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