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エゴン・シーレとの対話2023

本日、上野の東京都美術館まで、「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」を観に行きました。

10時に美術館に入り、出たのが14時半(笑)。4時間半があっという間でした。あと1.2回は行こうと思います。原画を観る機会なんてないんだから。
思い起こせば、2015年、今から7年も前にウィーンに旅行に行った時に、レオポルド美術館とウィーン美術史美術館にて、エゴン・シーレの絵画と出会いました。

シーレの代表作の自画像と恋人の展示

今回は、有名なほうずきの自画像だけが来ていました。恋人ヴァリーとの2ショットを見れたことは、幸運だったかもしれません。

エゴン・シーレは、僕が画家になるきっかけになった画家と言っても過言ではありません。高校1年生の美術の教科書の表紙に、このほおずきの自画像が載っていて、衝撃を受けて以来、即、美術部に入部し、シーレに影響を受けた絵画やデッサンを数多く描いてきました。それだけに、大切な大切な恩人でもあるのです。

高校2年生の時の自画像

そんなエゴン・シーレを追いかけて、ウィーンでたくさんの原画に出会い、また再び30年ぶりに日本にやってきたとなれば、それは何回でも観に行かねばなりませんね。

さて、展覧会を観終えてまず感じたのが、「ウィーンで観た時の印象と全然違ってる」ということでした。シーレといえば、何と言っても、その卓越した画力。師匠・クリムトをして「才能がありすぎる」と言われた17歳のシーレは、その後数年でウィーンを代表する画家たちの仲間入りをしました。
その完璧な画力と構成、色彩力に魅了され続けた1ファンでしたが、今回、シーレの持つ「深い洞察力」に心を打たれました。

シーレは詩人でもありました。
「僕が知ってるのは、現代的な芸術が存在するのではく、一つの芸術が存在して、それが永続するということである」とすでに21歳で気づいているように、芸術の根源的なものを、時に自画像、時にラフ、時に風景を通して、描こうとしていました。それが痛いほど伝わりました。

撮影可能なキャプション

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山や水、木や花の身体的な動きをとりわけ観察してる。すべては人間の身体と同様の動き、植物や歓喜や苦悩に似た揺さぶりを想起させる。1913(23歳)
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シーレは、その魅了する画力の奥深くに、自然の美しさや人生の儚さ、死と生を受け入れて昇華させる精神を備えていたのでした。最初から。きっと物心つくころから。これを神様に愛されたと言わずして、何と言えるのでしょうね。

センセーショナルと言われ、町からも追い出され、留置所で作品を燃やされてまで描いた多くの裸婦ドローイング。その鋭さ、的確さの裏に、彼はこう語ります。
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僕はあらゆる肉体から発せされる光を描く。エロテックな芸術作品にも神聖さが宿っている。1911(21歳)
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そうです。彼は「芸術の神様」と対話していたのです。僕が深いと感じたのは、そういった神の存在を常に感じ、そこからインスピレーションを得るという(過程)でした。
スピリチュアルというと現代では胡散臭くもなりました。宇宙ともなれば、遠い世界の夢幻に聞こえます。悲しいことですが。それだけにあやしいものもたくさんあります。

しかし、あらゆる芸術家や起業家、科学技術、小説家が垣間見た、「霊的」な力と読み取るならば、それはまさにヨガや仏教の瞑想の境地にも通じます。彼が観ているのは、遠い空の上の壮大な存在ではなく、自分を誇大化するものでもなく、たった一つの自分自身の心の内を観察して世界を知る、最も普遍的な感覚。だから全く浮かれていないし、地に足がついている。そして海を超えて、時代を超えて、愛されているのでしょうね。

また、彼は「生きて」いました。生命の憎々しさ、性的な衝動。えぐさ、死の恐怖、そういうものに向き合って、神様と深く対話しているのだと感じました。なぜ人間はこうなんだ!?と言わんばかりに。

彼の絵は「静寂」に包まれてます。クリムトやココシュカなどの同世代の代表作家と比べると、どのような構図でも、色彩でも、不安定なバランスを保ちながら静止する道化師のように、息を呑む静けさがあります。20代にしてその不気味な静けさは、まさに神様の声を聞き、体現してると思えました。

そんな天才も、一人の力では、100年後も語り継がれる表現は完成させられません。16歳からモデルを務めていた恋人のヴァリー。彼女の存在は、シーレの衝動と混ざり合い、傑作を生み出しました。命を貪るように。失われていくものと、生まれ出でる絵画たち。その目、その手、その足、その姿勢、その色、そのライン、全ては共に作り上げていく産物。
その黄金期も終焉の時がきます。画家としての地位を固めていく中で、インスピレーションの変化もあったのでしょう。中流階級の娘・エーディトと出会い、結婚します。彼女から安らぎを得たシーレの絵画は、ますます円熟の時を迎えます。
ここは評価が分かれるところです。かつての鋭さは失ったという評価が定番ですし、僕もかつてはあまりピンときませんでした。
しかし7年前のウィーンと違うのは、僕は父親になったこと。子を持つ親として、また家族を持つものとして、シーレが得られた「愛」の形は、さらなる深みと広がりを持つんだなぁと感じました。しみじみと。
あれだれまろやかになれるものなのでしょうか。たった数年で。しかもシーレはまだ28歳なのです。

彼の1年は、一流の画家の10年にも及ぶのでしょう。そして僕らのような鑑賞者にとっては、100年にも及ぶのかもしれません。人間が生涯を通して得らる、人生の意味のようなものを、たった1年で理解し、塗り替えていくような過程が見えるのです。
だから、彼は「完璧なのだ」と。

しかし、その変化には犠牲も伴います。ひどく傷心した元恋人ヴァリーは、自殺行為のように第一線の戦地に従軍看護師として出向き、23歳の若さで病死しました。それでも100年後の彼女の眼差しは、恨みや悲しみもなく、ただひたすら透明な美しさをを携えているのです。

エゴンシーレ。絵画の地位名声の絶頂を極める28歳。突然のスペイン風邪大流行。まるで2020年のウィルス蔓延の世界情勢のよう。
身の持った妻エーディトを失った3日後に、彼自身の横たわる自画像のように他界。10月31日。早すぎる死でした。

彼は臨終の時にこう呟いたと言われます。
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戦争は終わったのだから、ぼくは行かなければならない。ぼくの絵は世界中の美術館で展示されるだろう。
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彼は未来を見たのでしょうか。

シーレの存在は、1950年ごろまで忘れらされていたそうです。巡りゆく時代が信頼におけない所以ですね。そして、レオポルド夫妻がシーレの絵画を認め、コレクションしていきます。そしてその展覧会が大成功を収め、2001年にレオポルド美術館が完成します。

そのレオポルド美術館にて、15歳でシーレに憧れて絵を描き始めた青年が、初めて原画に触れたときの記事がこちら。

日付に注目。

この記事を見直して、ゾッとしました。日付が10月31日。
なんとエゴン・シーレの命日なのです・・。

彼はあの時、東洋のしがない画家に、何を語りかけてきたのでしょうか。そして、今日この日。彼は「芸術の神様」を通して、何を伝えようとしてるのでしょうか。

わずかに聞こえてくるのは「もっと静寂を持て。そして耳をすませ。深く集中するのだ」と。

少し余談になります。
シーレは新しい命を待ち望んでいた。彼はどんな父親になっただろう。そう思いを馳せると、彼がどうしても望んでいた、未来の「家族」を、僕は得ていること。
そのことに、今以上に感謝しなければなと感じました。家族は未来。彼の全人生を懸けて作り上げてきた奇跡の「続き」を、僕は受け継いでいるのだと。

ありがとう、シーレ。
Schiele, danke.

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