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ある少年の悩みについて

ある少年が、ティクナットハン禅師に、息も絶え絶え、こう質問していました。

「僕はお父さんを許せません。何度も彼が変わるようにチャンスを与えようと、会い続けました。だけど彼は変わりません。苦しいです。それでも彼と会わなければならないでしょうか」

ハン禅師はこう答えました。相手が少年だろうが老人だろうが構わず、一人の人間として真剣に、そしてその場にいる聴衆にも向かって、話しかけました。

「相手を変えようとしてはいけません。自分と相手が、全然違う、離れていると思っていると、解決になりません。父親は、あなたの中に存在してるのです。よく観察して、心を鎮め、彼を観察してください。そうして、自分の心の中にある父親を変えるのです。そうしないと、あれだけ嫌った父親と同じことを、将来、子にもするでしょう。変わらない父親はずっとあたなの中に居続けるのですから」

少年にとっては厳しい話です。「あなたは悪くない・・」なんて慰めてません。

自分が父親?
相手が変わるべきでしょ?
あんなに酷いことをしているのに。
私は悪くない!

そんな叫びが、世界中至る所で聞こえてきます。
自分自身から。
苦境の肉親から。

相手が変わるべき!
お前は従え!
私は被害者だ!悪くない!

果たしてそうなのか。これは、簡単には納得いきません。頭でわかっていても、酷い仕打ちをする相手が、まさに自分自身だと感じ、相手を理解することは、とてもとても難しい。

それこそ、怪しい!ってなりますよね。まだ、占いや、人生経験者にズバッと切ってもらったほうがいい。
会うな!別れろ!と。切った方が良い。西洋医学の治療のように。考え方は人それぞれ。依存関係にあれば、それこそそうした方が良いでしょう。

どんな時だって、問題ある相手とは一体なのだと。

少年はきっと、その本質を理解したのでしょう。そして、その場にいた観衆と一緒に、集合的意識で理解したのだと思います。
普遍的で、抽象的な理解は、とても一人ではできません。
仲間がいて、共に気づける時がくることもあります。それが大変な問題ほど。社会的な問題も。経済的な問題も。みんなで、考える必要があるのだと。

私自身も、ずっと「怒れる父親」と共にいました。全く別だと思いながら、やはりどうしようもなく自分の中にいるのだと認めました。

不思議なことに、息子の命が宿った時に、20年以上消息不明だった父が、警察の捜査で見つかりました。

それからというもの、内なる父親と向き合う日々でした。
子供が産まれてから、なお一層、自身の父親が、自分にどれだけ深く影響を与えてるのかと知りました。
そして、その負の遺産と思われていた記憶の中で、赤子をあやす才能がずば抜けている、父からの財産に気づくことが出来ました。

実際の父親は、私自身のうちなる父親からは語られなかった、とても愛の溢れる力を、私に与えてくれていたのでした。

子供に笑う時、ギャン泣きで途方に暮れる時、あやす時、戯れる時、父との記憶が蘇りました。
子供の瞳の奥に、父親を見、そして母親を見、祖父母を見ることが出来ました。

私は、その後3年間、父親の介護をするために奔走しましたが、一つも苦ではありませんでした。こうやって関われて、恩返しが出来ることを、神仏に心から感謝しました。

内なる父を、許し、理解する。

火を吹いて暴力を振るう父親。しかし、そこには絶望と苦しみと、どうしようもない後悔があった。誰も傷つけないために、一人、消えた。

その父の怒りが、確かに内に存在する。だいぶ歪曲されて。家族に存在する。そうして今も苦しんでいる。

私の中の、さまざまな存在を、心から赦すことができるのか。理解して愛することが出来るのか。
その先に、相手をしっかりと見て、愛を持って、和解策を提案できるのか。

日々、自分に向き合う必要がありますね。

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