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人を幸福にする笑顔 -フランス=ハルスの絵画【エッセイ#59】

笑顔を表現すること。それは実はかなり難しいことなのではと思ったりします。

観客を泣かせるより笑わせる方が難しい、とは作劇術でよく言われる言葉ですが、笑いというのは、実は表現しにくいものなのではないか。特に、アイロニーや嘲笑抜きの、心からの笑顔は、表現芸術でも、希少なもののように思ってしまいます。
 
絵画の世界において、笑顔を描く達人といえば、フランス=ハルス以外にはいないでしょう。こんなにも描かれた人が、生き生きとした笑顔になっている絵画は、なかなかありません。


 
ハルスは1582年、現在のベルギー、アントウェルペン生まれ。ほぼレンブラントと同時代の人。27歳の時に画家の組合にようやく加入が認められた苦労人です。

二度の結婚で、14人の子供を儲けているため、生涯生活は苦しかったようです。注文によって肖像画を沢山描いて、糊口を凌いでいました。しかし、そのため、多くの珠玉の肖像画が遺されることになりました。



例えば、『笑う騎士』の赤ら顔の騎士。ちょっと気取ってポーズを着けていますが、照れ臭そうに微笑んでいる様は、それだけで、この騎士の気風の良さ、善良さを伝えてくれます。

『笑う騎士』
ロンドン ウォーレス・コレクション蔵

 
あるいは『ジプシー女』。斜め横を見て微笑むロマの妙齢の女性は自然体で、まさに今、心の底から微笑が漏れ出たという感触を味合わせてくれます。

『ジプシー女』
ルーブル美術館蔵

 
こんなにも自然な微笑を見ていると、不意に疑問も浮かんできます。一体なぜ、世の中にはこんな自然な笑顔の絵画が少ないのだろう。一体なぜ、みんな気取ったシリアスな表情ばかり浮かべてしまうのだろう。一体なぜ、絵画だけでなく、広告写真ですら、自然な笑顔を写した瞬間が少ないのだろう、と。
 
ひょっとすると、私たちは、美しさというものを、笑顔から切り離し過ぎて来たのではないか、という気すらしてきます。

ここで言う笑顔というのは、悪意や嘲笑でなく、自然と零れる笑みのようなもの。赤ん坊が、嬉しくて、心地よくて、声を上げような、原始的な喜びの、控えめな表れのようなものを言っています。

『イサーク・マッサと
ベアトリクス・ファン・デル・ラーンの
結婚肖像画』
アムステルダム国立美術館蔵

 
笑顔というのは、それだけで少し表情のバランスが崩れるようなところがあります。

例えば、泣き顔や苦悩に顔をしかめる表情は、バランスが崩れたとしても、背後に高尚なドラマがあるから、そのアンバランスさが正当化され、積極的に評価されます。
 
しかし、笑顔というのは、いわゆる「近代的な苦悩」とは無縁で、どこか一段低く見られるようなところがある。しかも表情のバランスが崩れてしまうから「美の規範」として適していないとみなされがちな気がします。


 
そう考えた上で、ハルスの中でも素晴らしいのが、『笑う子供』です。歯茎を剥き出しにして笑う男の子の肖像です。
 

『笑う子供』
マウリッツハイス美術館蔵


おそらく、この子は、西洋の規範からすれば、美少年ではありません。今の感覚でもそうでしょう。

しかし、大きな口で笑う彼の顔には、自然な寛いだ感覚がある。我を忘れる爆笑ではなく、悪意に満ちた哄笑でもない、ただ人としてあるべき、リラックスした素直さが溢れ出ている。つまり、ある種の徳を兼ね備えた子供のようにも見えてくるのです。


 
どうしてこのような絵を描けたのか。勿論、ハルスが人の表情を捉える卓越した技術を持っていたことは、言うまでもありません。しかし、それだけでは、こうした表情には到達できないように思えます。
 
ハルス自身が、対象の人物をリラックスさせる名人であったこと。そして彼の中に、こうした自然な笑みこそが、人間の中に潜む美しい表情だという確信があったのではないでしょうか。

フランス=ハルス自画像

 
昔読んだ何かの童話で、優れた料理人になるために必要なものは腕ではない、舌である、といった文言があったのを覚えています。

つまり、何かを混ぜ合わせたりする技術だけでなく、何が本当に美味しいか理解できる能力と審美眼こそが、人に提供する美味しい料理を創るために本当に必要なものであると。



それは、芸術やエンタメでも同じなのではないでしょうか。私たちは、つい目の前の技術に囚われてしまう。だけど、本当に大切なのは、その作品が伝えようとしていることが、優れているかどうかなのではないか。
 
人が最も美しい瞬間、絵画に残すべき瞬間とは、自然な笑顔の時である、という強い確信と美学があったからこそ、ハルスは、その卓越した技術で、微笑んだ人物たちを描いたはずです。
 
そこには、人間は本来善良なものであるという信頼感があります。それが、どんな声高なメッセージよりも、私たちに伝わってくる。それゆえに、絵を観た人間はその善良さを感じ、幸福な気分になるのだと思います。


 
笑顔は決して持続できるものではありません。幸福が持続できるものではないのと同じです。それゆえに、「時」から切り離して、残す価値のあるものでもある。
 
ひょっとすると、私たちがこだわっている「美しさ」というものは、幸福の代替品として創られた概念に過ぎなかったのかもしれない。そんなことまで考えさせてくれるのが、ハルスの描いた、善良な微笑みの肖像画なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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