見出し画像

【エッセイ#36】長い手紙、小説のはじまり


先日、noteを見ていたら、「眠れぬ夜のブックカフェ」さんに面白い記事がありました。

 
小説はなぜ19世紀に発達したのか、という記事。そこでは、司馬遼太郎の言葉も引かれて、神のいない時代で、宗教に代わるものとして、一つの世界を創る神として登場したのではないかという話も紹介されています。
 
大変興味深い話題です。そして、勿論、簡単に答えが出ない話題でもあります。沢山の要素が複合して、興隆に向かったことは間違いないでしょう。
 
おそらく、神を信じられなくなった、という説はかなりの信憑性があると思います。しかしここでは、私はもう一つの要素を挙げたいと思います。
 
それは、手紙です。
 
つまり、19世紀は郵便制度が発達した時代だったということです。識字率の全世界的な向上も相まって、手紙の分量が飛躍的に伸びた時代でもありました。それが小説にも関係あるのではないかと思っています。


 
近代小説の先駆けになったのは、18世紀のイギリスの作家、サミュエル=リチャードソンが1761年に発表した『パミラ』だと言われています。


この作品は、パミラというメイドが、若いご主人様に誘惑されつつも、それをはねのけ、周囲からも称賛されて、ご主人様も段々改心していくという話です。

サブタイトルが、『淑徳の報い』なので、結末は言わずともわかるかと思います。ストーリーとしては、現代のハークレイン・ロマンスにありそうな話でもあります。

興味深いのは、これは、いわゆる書簡体小説だということです。パミラが田舎の父母に宛てて、ご主人様との攻防(と呼ぶには生々しいですが)を逐一書くという形式になっています。



その手紙の異様に長いこと。くどくどとした描写が多く、日本語に直したら、毎回一万字は優に超えているであろう長さです。それが百通以上あるので、邦訳本は、辞書並みの分厚さになっています。

こんな長い手紙を毎晩書いて、一体仕事はどうしたんだろうとか、大量の便箋やペンやインクをどこから調達したのか、とか、そんなツッコミを入れたくなります。

この21年後の1782年に発表された、フランスの軍人・小説家ラクロの『危険な関係』が、話の整合性、文面の現実らしさ、複雑な手紙の行き来の組み合わせ、言外の仄めかしの精妙さ等、素晴らしく洗練された書簡体小説になっているのに比べれば、何とも原始的で荒っぽいものです。



しかし、同時に、ここには、ある種の「はじまりの小説」らしい感触があります。というのも、段々と「手紙」から逸脱していく過程が見られるからです。

最初のうちは、パミラの報告も短く、両親からの訓戒付きのちょっとした返事も入っています。しかし、ご主人様の行状と、自分の気持ちを長々と書いているうちに段々と、両親に伝えるのではなく、描写をすることが目的になっていくような実感があります。

つまり、パミラという田舎娘が両親に手紙を書いているのではなく、作者のリチャードソンが、このメイドの話を読み手に伝えようとしている。そのためにどんどん描写が長くなっていくように感じるのです。



実のところ、誰かになり切って日記や書簡という体でフィクションを書く作家なら、古代からいます。それこそ、紀貫之の『土佐日記』でもいいのですが、意外と? みんな律儀に「これはこの人物の書いた日記ですからね」というふりを崩さないものです。

しかし、リチャードソンは、辞書レベルの書簡を長々と書いていくうちに、そうした人物の仮面をかなぐり捨てて、この話を自分が誰かに伝えたい、という欲望が芽生えてきたに違いありません。

それゆえ、虚構の設定が破綻するのも構わず、面白い話を語ろうとした。だからこそ、この小説は、出来はまあさておき、近代小説の先駆けと言うにふさわしいのだと思います。



リチャードソンは、元々、印刷屋を営んでいました。50歳を過ぎて、書簡の範例文を集めた本を出版するつもりでしたが、それを、一人の少女を主人公にして、フィクションとして書くことに決めました。

そして、サロンで御婦人方に囲まれて、この話を朗読し、彼女たちの反応や要望に応じて、小説を書いていったと言われています。まるで、読者のコメントを拾っていく、ネット小説のようです。

こうした創作の過程からも、初めは手紙だったものが、様々な欲望を経て、小説へと変化していく、生々しい歴史が分かるかと思います。

サミュエル=リチャードソン


冒頭の話に戻れば、神への懺悔とかがなくなって、自分の内面を誰かに伝えようとした時、どんどん手紙が長くなっていった。そして、それは、読者というまだ見ない人に向けたものになっていったということでしょう。

原初の小説は、まだ手紙と未分化な側面があります。実際、18~19世紀の大小説家は、例外なく、手紙を出すのが大好きで、書簡集は、彼らの文学全集の一部を占めています。


 
ここまで書いてきましたが、これは18世紀の話ではないか、という声もあるかと思います。

その通りです。郵便通信制度(日本なら飛脚)自体が安定しはじめたのは、大体どこの国でも18世紀です。そして、それがみんなに真に浸透したのが19世紀であり、それが偉大な小説を産み出すきっかけとなったのです。
 
ある形式が生まれて、それが本当の意味で浸透するには、ラグがあります。浸透するには、みんながその対象を常識だと思うこと、そして、それを広めるための仕組みや制度のようなものが必要です。

つまり、手紙が小説へと制度化され、それの受け皿となるプラットフォームができたのが、19世紀だったということです。

具体的に言うと、新聞と雑誌です。この二つが大きく成長し、多様な新聞・雑誌が発行されて、小説を発表する媒体となりました。そうすることで、小説の量も質も、飛躍的に発展していきました。



19世紀の偉大な小説家、例えば、バルザック、スタンダール、ユーゴ―、フローベール、トルストイ、ドストエフスキーは基本的には、職業作家であり、新聞や雑誌に作品を発表して生活していました。

当たり前だと思うかもしれません。しかし、19世紀以前は寧ろこうした作家の方が少数派でした。ゲーテは宮廷に仕えた官僚でした。シェイクスピアは劇団の座付作家兼俳優です。ダンテやミルトンのような詩人は、割と文筆だけでも食べられましたが、物語だけ発表して食べていける人より、副業として書く人の方が遥かに多かったのです。

私たちが思い浮かべる職業小説家が生まれたのは、実は歴史的にみればかなり最近です。そして、それは、手紙の制度が生まれて、ようやく100年近く経った19世紀になってからだったと、乱暴ではありますが、言ってもよいと思います。



あるプラットフォームが浸透して、新しい芸術ができるまでは、100年近くかかる。そう考えると、私たちがもうなくてはならないと思い始めている、インターネットやSNSも、まだできてから、20年近く「しか」経っていないことに気づきます。

そう考えると、私たちは、まだ20世紀を生きているのかもしれません。実際、こうやってネットに発表する文章の形式自体は、20世紀の雑誌や新聞文化で醸成された型に基づくものです。

更に、映画や音楽の配信にしても、結局のところ、過去の遺産をある程度安価で享受するだけのシステムです。私たちはまだ、20世紀の意識のまま生きています。

きっと、インターネットから、本当に新しい何かが生まれるためには、手紙から小説が生まれるくらいの、長い時間が必要なのでしょう。

私にはその時間は残されていません。しかし、そこには、20世紀の人間である私には思いもつかない、新鮮な何かの体験があるのかもしれない。古典的な小説を読みつつ、時折私は、そんな夢想をすることがあるのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、マガジン「エッセイ」「レビュー・批評」「創作」「雑記・他」からご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。




 

この記事が参加している募集

スキしてみて

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?