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ヴァルター・ベンヤミン著作集III「言語と社会」-解釈

ヴァルター・ベンヤミン著作集III「言語と社会」-解釈
解釈-ヴァルター・ベンヤミン著作集III「言語と社会」から、「言語一般および人間の言語 」 1916

「言語一般および人間の言語 」

解釈「言語一般および人間の言語 」
人間の精神面の表出は、すべて、言語の一種として把握することができる。
この把握にあたっては、至るところで新たなる問題の提起の道が開かれた。
簡単に言えば、精神面全ての伝達は、すべて言語に他ならない。
精神本質は、それが伝達可能な限りにおいてのみ、それは、言語の本質と一致する。
また、人間言語の本質は、事物に対して、命名することなのだ。
その命名することが、自己を伝達することなのだ。
それは、だれに伝えているのか?
人は、どのように自己伝達をするのか?

そこから解釈できることは、

そこから解釈できることは、人間のみが普遍性と集中性の両面から、完全な言語を有している、ことだろう。
それは、また、*形而上学的な重要な要素を持ち合わせているだろうが、まずは、精神的本質とは、言語的本質と呼ぶことができるか?
精神的本質=言語的本質であれば、事物(表象・事象)は、その精神的本質の媒体となろう。
所謂、言語の内容等は存在しない、伝達している言語は、精神的本質を伝え、それは、伝達の可能性そのものを伝えることなのだ。

神学とマルクス主義にも由来する社会学

このベンヤミンの思想は、神学とマルクス主義にも由来する社会学を融合した特異性をもち、他との同一化を拒む部分もあり、現在、多様な解釈もあるだろう。

(註)*形而上学とは、感覚ないし経験を超えた世界を「真実在」とした場合、その世界の普遍的(共通)な原理について理性的な思考(感覚・知覚と異なる知的精神作用)によって認識しようとする学問、また、哲学の一分野である。

今回は、ベンヤミンの「言語と社会」の断片のコラムですが、これには、リンクを貼りたいコラムが実に多いです。芸術及び情報の伝達論の流れ(チャネル)や、ビジュアルコミュニケーションと意味論、そして、「打ち倒されたレーニン像はどこへ消えた」このあたりの原稿を追記リンクして参ります。お時間の許す折に・・

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