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画家ジャン=レオン・ジェロームの寓意画と哲学

画家ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)の寓意画(Allegory-抽象事例の偶像化)と哲学

ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824-1904/仏の画家・彫刻家-歴史シーン・オリエントの描写)

歴史画、新古典主義(18th中旬-19th初頭にかけて、荘重な様式をもとめた、ギリシアの芸術が模範)、アカデミックアート(欧州の芸術アカデミーの影響下で制作)、そして、オリエンタリズム(Orientalism)の画家だ。
また、ジャン=レオン・ジェロームは、後継に大きな影響力を与えている。

略歴の、そのダイジェスト・・・ Jean-Léon Gérôme

1824年、ヴズール (Veso/オート=ソーヌ) で生まれる。
1840年、パリに於いて、ポール・ドラローシュ(Hippolyte Delaroche,1797-1856/ 画家/アカデミックアート-当時の欧州の芸術アカデミーの影響下で制作、 ロマン主義-18th-19th初めの古典主義と対をなす精神運動)たちに学んでいる。
1843–1844年の間は、ポール・ドラローシュと同行して、イタリア等をめぐっている。その地域性からの影響も大きだろう。
パリに戻ると、エコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts/国立の権威あるアートスクール)で学ぶ。

1847年のサロンで賞を取る。-The Cock Fight(闘鶏/1846)

その時点から、テオフィル・ゴーティエ (Pierre Jules Théophile Gautier,1811- 1872/フランスの詩人・小説家・劇作家・評論家)によって支持されている。


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(cc)The Cock Fight

1852年、歴史画の大作「アウグストゥスの時代」

1852年、ナポレオン3世の美術総監ニューヴェルケルク伯爵の注文で歴史画の大作「アウグストゥスの時代」(Augustus/ローマ帝国の初代皇帝(在位は、AD27年 - BC14年)を制作。キリスト生誕の場面と、ローマ帝国に征服された国々がアウグストゥスを表敬訪問する場面を組み合わせた絵画である。

アウグストゥスの時代

(cc)Augustus

1854年、パリ、サン・セヴラン教会内聖ヒエロニムス礼拝堂(Eusebius Sophronius Hieronymus, BC347頃- 420/キリスト教の聖職者・神学者)の装飾を受注。このとき描いた「聖ヒエロニムス最後の聖体拝領」は、ジェロームが宗教画の分野でアングル派(ドミニク・アングル-古典主義的な絵画)から受けた影響を示している。

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(cc) 聖ヒエロニムス最後の聖体拝領

1855年、万国博覧会に出展

1855年、万国博覧会に、ロシア軍野営地での音楽演奏、アウグストゥスの時のキリストの生誕、他を出品している。
1856年、エジプトを初訪問。以後、アラブの宗教、風俗、北アフリカの風景を描いた絵画を数多く手がけることになる。
1865年、フランス学士院(Institut de France)に選出された。そして、1867年にオフィシエ(将校)に昇格。
1869年、イギリス王立芸術院の名誉会員となり、レッドイーグル(Order of the Red Eagle )勲章三等を授けられるなど栄華の頂点をきわめ、その1869年、他の著名美術家たちと並んでスエズ運河の開通式に招待された、それは、当時、大変な栄誉な事だ。

ロシアのキャンプでのレクリエーション、1855 

(cc)ロシア軍野営地での音楽演奏

1872年、「Pollice Verso」(親指を回して)

(註)絵画の親指を下に向けるジェスチャーは、コロッセオの観客が勝利したムルミロに与え、敗北したレティアリウスは2本の指を上げて慈悲を懇願する。

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(cc)Pollice Verso

1879年、「The Snake Charmer」(蛇使い):紺碧、シアン、ターコイズ、アクアマリンで輝く、美しい東部のタイル張りの壁を背景-オリエンタリズム(Orientalism)を感じる世界と色調だ。

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(cc)The Snake Charmer

1890年、「Working in Marble」タナグラを彫刻している自分を描いている。

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(cc) Working in Marble

1896年、寓意画「Truth Coming Out of Her Well to Shame Mankind」(人類に恥を知らせるため井戸から出てくる-真実)

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(cc)Truth Coming Out of Her Well to Shame Mankind

1896年、*寓意画「Truth Coming Out of Her Well to Shame Mankind-1896」(人類に恥を知らせるため井戸から出てくる-真実)を制作(デモクリトス(BC460年頃 - BC370年頃/ギリシャの哲学者)が言ったとされる「真実は井戸の底に横たわっている」という言葉に基づくもの)。イリュージョン(Illusion/絵画が、三次元的な奥行を持った空間として観者に意識される-虚の実在性)の透明性を記述する試みであり、事実ジェロームは、自身の写真的な絵画に取って代わるものとして写真の興隆を歓迎していた。1902年には「写真のおかげで真実は、ついに井戸の外に姿を表した」と述べている。
1904年1月10日、アトリエで制作中に息を引き取る、79歳だった。

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(cc) Jean-Léon Gérôme

遺体が発見された際、目の前にはレンブラント作の肖像画が、近くには自分が描いた「真実」の像が置かれていたと言われる。本人の希望により、献花なしのごく簡潔な葬儀が行われた。ただ、彼の死を悼んで行われたミサには前大統領や著名な政治家、芸術家、作家が多数列席。遺体はモンマルトル墓地に葬られ、墓前には、父に先立ち、1891年に亡くなった息子ジャンのためにジェロームが鋳造させた立像「悲しみ」が建立されていた。
沁みる話だ。

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(cc)悲しみ

(追記)しかし、この作家を短文でアートコラムにしたら、次の世界に行った時、私は、ジェローム先生に、まずは、叱られるだろう。語りきれない程の偉業だからだ。ですので、どこかで、続編もコラムに致します。その前に次の世界で、会ってくれるのかな、とも・・

(註.1)画家ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)は、アメリカ印象主義の画家たちに大きな影響を与えている、そして、フレーム画像で感じることはなんだろう?
「Truth Coming Out of Her Well to Shame Mankind-1896」ジェロームは、自身の写真的な絵画に取って代わるものとして写真の興隆を歓迎していたという事だろう。1902年には「写真のおかげで真実は、ついに井戸の外に姿を表した」-Jean-Léon Gérôme

以下に、初期の写真関連のコラムをリンクしてございます。

(註.2)ジェロームに師事した芸術家としては以下がいる。(順不同-概略的な視点で)
• オディロン・ルドン (1840-1916)
• イオアニス・ドゥーカス (1841-1916)
• ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842-1904)
• メアリー・カサット (1844-1926)
• ジャン=アンドレ・リクセン (1846-1925)
ウィリアム・メリット・チェイス (1849-1916)
• エドウィン・ロード・ウィークス (1849-1903)
• パスカル・ダニャン=ブーベレ (1852-1929)
ジュリアン・オールデン・ウィアー(1852-1919)
• ウジェーヌ・ジラルデ (1853-1907)
• ジュリアス・ルブラン・ステュワート(1855-1919)
• アンリ・モレ (1856-1913)
• デルファン・アンジョルラス (1857-1945)
• ポール・セザール・エリュー (1859-1927)

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