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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト-中間のご報告 - 忙しい人向けのシュールレアリスム『海辺でクラスメイトの男子を見かけたら“ベントラー*2”と唱えよ』

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、短文で評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。また、これから、応募ご希望の方も、ご覧いただき、お気軽に応募くださいませ。

・忙しい人向けのシュールレアリスム『海辺でクラスメイトの男子を見かけたら“ベントラー*2”と唱えよ』
蝦空千鶴-EZORA Chizuru-さま、応募ありがとうございます。

評:シュールレアリスムと、その周辺の多様性を持って描かれている。シュールレアリスムということ自体が、自らが、発信した表象を、それを受け手が、どう受け取るかという心象現象だ、そこでは、感性の同時性がポイントだ。作者は、良くその部分を心得ているのだ。
ただ、この作品の解釈は、少し巻き戻して、カフカの不条理の世界かも知れない、いや、この作者の文脈は、その不条理から、デ・キリコの形而上学体系から、シュールレアリスムに移行するプロセスあたりに、作者の視点(極)があるのかも知れないのだ。シュールレアリスムのテリトリーからは、一般的なサルバドール・ダリの絵画とは明らかに違う、かと言って、マックス・エルンストの多岐にわたる作風とも異なるだろう、そして、原点回帰して、フロイトの精神分析のロジックの流れも感じなくもないが、そのフロイトの原石のようであり、やはり、それとも異なる。近似値的には、ブニュエル監督の「アンダルシアの犬」の映像を思い出すのだ。そう、映像世界の文体のように受け取れる、、それも、フリッカーの中でそれを見ているようだ・・
すらっと読めて、意味論がない(むしろ、この表象には意味付けは厳禁だろう)、感性の同一性を感ずる読者は、残像がいつまでも脳裏に離れないかも知れない、それこそがアバンギャルドな姿勢だろう・・・そんな作品だ。

(追記)どなたでも、このコンテストに、気軽に応募下さい。美術・芸術という範囲も広いと存じます。ごく私的な視点、そこが大切なのかも知れません。美術系のエッセイや文章に限らず、ご自分の絵画とコメント、写真とコメント、etc...お待ちしております。

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