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(今日の1枚)占い師の報酬:デ・キリコ

「占い師の報酬」1913


占い師の報酬 - Giorgio de Chirico

占い師の報酬  ジョルジョ・デ・キリコ

「占い師の報酬」ジョルジョ・デ・キリコ (フィラデルフィア美術館)
135.6x180cm
(註)中央に描かれた彫像は、「眠れるアリアドネの彫像」(ローマ時代からの複製とされる)

解説 - 概要と経緯

午後の人気のない街の広場の長く伸びる影の間に、人間でも単なる物体でもない古典的な人物が横たわっている。
女性的で流動的なこの作品は、台座の上で鑑賞者に向かってうねり、一方の大きな膝は長いローブの、ひだの下に傾き、上腕は頭の上に押し込まれ、もう一方の腕は重さを支えている。「占い師の報酬」は、デ・キリコによって、1913年に描かれた。古典主義と現代性を解析し、新しい視覚言語を築き上げたイタリア広場シリーズの 1 つだ。

そしてよく見ると・・・

この上記の視点は、一見現実に忠実であるように見えるが、実際には矛盾している点はいくつかある。

1888年、ジョルジョ・デ・キリコは、ギリシャのイタリア人の両親のもとに、ヴォロスで生まれた。
(註)ヴォロス:ギリシャ神話でイアソンとアルゴナウタイたちが金羊毛を求めて出航した港
鉄道技師だった父親が早くに亡くなった後、デ・キリコは、ほとんどがイタリアで育ち、その仕事で家族は移動を続けてきたこの芸術家は、古典的な背景の二重性を楽しみ、彼の発明したイタリアの広場の一部はサンタ・クローチェ広場(フィレンツェ中心部)に基づいている。
そのフィレンツェでは、柱廊、深い窪み、そして突き抜けない日陰の板の間に太陽の光が差し込んでいる。

デ・キリコも 20 世紀初頭のパリに惹かれたが・・

多くの芸術家と同様に、デ・キリコも 20 世紀初頭のパリに惹かれたが、ピカソやブラック達の群衆には合わず、ニーチェの理論と潜在意識の世界の探求にもっもと惹かれた。パリがキュビズムの静物画でイメージを平坦化している一方で、デ・キリコは古代を利用して、ほとんど目がくらむような視点の発明された空間を作り出していた。
1910年から 1914年頃にかけて、都市の広場は、より、夢のようになっていき、初期のシュルレアリスムを喜ばせた。明らかにつながりのないスケールの合わない物体が点在しする。後にデ・キリコがより古典的なスタイルに戻ったとき、彼は、シュルレアリスムをボイコットした。

「占い師の報酬」のように、背景には蒸気機関車が頻繁に通過する。彼の作品の多くの場合、その主題の周辺を、よく見ると論理的な説明があり、地平線を勢いよく進む蒸気機関車はデ・キリコの死んだ父親を暗示していると言われる。

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888 - 1978)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。

Giorgio de Chirico

シュルレアリスム(surrealism):作家アンドレ・ブルトンを中心とする文学・芸術運動であり、ブルトンが提唱した無意識の探求が、本来の目的。しかし、「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という意味合いに使われる。

デ・キリコ展-東京都美術館 2024年4月27日(土)~8月29日(木)

Giorgio De Chirico: Metaphysical Journey(形而上学的な旅)

デ・キリコ展-神戸市立博物館 2024年9月14日[土]~12月8日[日]

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