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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト- ボーダーの無い現代美術

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。また、これから、応募ご希望の方も、個々の多様な、、ご自分の視点で、気軽にご応募くださいませ。

・ボーダーの無い現代美術
アセアンそよかぜ(文筆家、旅と東南アジア小説)さま 応募ありがとうございます。

(評)ライターである筆者のそれは、現実なのか、小説なのか、わからない程、巧みな入り口だ。
バンコクに駐在する現地駐在員黒田氏は、突然のごとく、金正物産の幹部の中島氏を接待で、現代アート鑑賞に巡らざるを得ないシーンからはじめる。
そして、黒田氏はアートセンターの通訳として同行する。その会話のやりとりの中で、現代アートの本質、また、表象(アート)の全帯域での本質が見えて来るのだ。

その中で、アートの本来像とも言えるフレーズを拾ってみた。
1)金正物産の幹部の中島氏との会話からだ。
「例えば、有名な画家の作品があるやろう。誰でもええわ、みんな知っている人」
「あ、ピカソとかゴッホとかそういう人ですか?」
「例えば、その名前の作品を見たらどう思う」
「それでは、作品を見てんのんと違う。ピカソとかゴッホいう、ネームをみとるだけや」

作者の経歴(学歴)または、生い立ち(例えば、アウトサイダー・アートでもそうだが)を追うのではなく、その「作品」からの極を受け取らねばならない、その基本をまず、中島氏が、語っている。例えばだ、アウトサイダー・アートを探して、障害者施設に廻り、施設の方々と出会い、こんなに大変な状態でも描いている、と言う事と、その「作品」は異なる訳だ。(ここで誤解なきように申し上げたいのは、すべてのその施設の方々は、アートでなく、必ず、周囲に与える影響の極をお持だ、それを生かしたいと言う視点は、誰しも変わらない)
また、作家のまるで、シンボルの様に言う、美大の偏差値でも、当然ながら異なると言う事だ。
アートは「作品」そのものだ。
このピカソ、ゴッホ、その当時は、それは先端の当時で言えば、現代アートだっただろう。

2)「そうや、この前やっていた展覧会で見たやつやけど、これはピカソやゴッホほど有名な人やない。けど作品にインパクトあるやろう」
「確かにそうですね」
「だから、作者の名前を知らずに見るほうが、ワシは好きなんや。感性で見るアートという奴やな」
 黒田はこのとき、なぜ目の前の中島が、タイのバンコクに来てまでわざわざ現代アートを見ようとしていたのか理解する。
現代アートを直に見て、そこからの作者の視点(極)が、観るものの視点(極)に伝わった時、それは、インパクトある、感性の同一性だろう。そして、それは、時間域や地域性も超えているだろう。アートには、この双方に要素(極)あって、成立する訳だ。

3)バンコクのアートセンターの館内絵の様子から
「そう、みんなの前で公開でやっておられたんや。で、この人何歳くらいやと思う」
「4・50歳くらいの人ですか」
「いや違う、もっと上や」
「え、還暦すぎたくらいの人」
「違う80歳近くや」
「この人80歳近くなんですか!」思わず黒田の声が裏返る。 これに黒田は衝撃を受ける。

そう、感性は教育されて、生まれ出るものではない、だから、感性に年齢はないのだ。

「そうですね。僕も判らないなりに直感で見れて、いろいろ面白かったです」「そうか、それがわかっただけでも、今日一緒に見学出来て良かったんちゃうか」「はい、ありがとうございます」黒田はお世辞抜きで中島に礼を言う。
そう言った流れで、文章はまとめられている。アートについて、実に的をついた文脈だ。

デュシャンの残した言葉を最後に付け加えた。(これは、筆者の思いと同義語での文脈だろう)
「ある天才がアフリカのどまんなかに住んでいるとして、どんなに毎日、すごい絵を描いていようとも、誰もその絵を見ないとすれば、そんな天才はいないことになるでしょう。芸術は2つの極によって生み出されるのです。作品をつくる者という極があり、それを見るものという極があります。芸術家が重要と思われますが、実は作品を作る者と同じだけの重要性を作品を見るものにも与えるのです。」-マルセル・デュシャン

(註)バンコク芸術文化センター(Bangkok Art and Culture Centre:BACC/2008-):タイの首都バンコク設立され、美術、音楽、舞台芸術、映画、文学、デザインとうの多様な展示を行っている、この地域的にアジアのある意味、現代アートの拠点だ。
そして、基本は、入場無料(Admission free)だ、ただ、展示会によっては入場料が必要な場合もある。

(追記)筆者の視点は、実に本質を捉えている。そして、ライターさんでもあり、一気に読ませる文章だ。
これから、益々、ご活躍を願いたい作家だ。アセアンそよかぜさまの作品を、多くの読者さまが、お読みになる事を私共も、願っております。
今回は、アートの本質を巧みに捉えた記事の応募をありがとうございました。


(今後のお知らせ)
このコンテスト #2020年秋の美術・芸術  は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画をされている秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。         
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間は、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にシフト致します。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。(註) #2020年秋の美術・芸術  は全角ですので、よろしくお願い致します。


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