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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト- 大好きな絵との出会いと印象派について思ったことを振り返ってみる。

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-ご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。昨晩までに多数のご応募ありがとうございました。

・大好きな絵との出会いと印象派について思ったことを振り返ってみる。
とりのかおさま 応募ありがとうございます。

(評)筆者のお気に入りのジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」と印象派の周辺を、興味深くまとめてあるエッセイだ。
そして、このジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」から、大学で美術史を専攻されている、そんな思入れのある絵画だ。
ただ、筆者がこの絵に出会った時には、強く惹かれた一方では、違和感や疑問があったと言う・・・・

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Fig.(cc)蛇使いジャン=レオンジェローム


(註)ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824-1904/仏-画家・彫刻家)
歴史的な絵画やオリエント(Orient/東方)の描写が多い作家だ。

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(cc)ジャン=レオン・ジェローム

そして、「蛇使い」は、ジャン・レオン・ジェロームによって、1879年頃、描かれている。
収蔵:クラーク美術館(Sterling and Francine Clark Art Institute/US -マサチューセッツ州)
そこには、少年が蛇を操るパフォーマンスが描かれている。
画像のように、男の子が、オリエンタルを感じるブルーの文様のイスラム的なタイル張りの壁に囲まれた部屋の小さな絨毯の上で蛇を操るパフォーマンスの絵画だ。観客は武器を身につけたイスラム系(エジプト、トルコ、インド的)の兵士たちだ。洗練されたアカデミックな作品だろう。

筆者の流れに沿って・・
・出会いと強い違和感
2013年に、三菱一号間美術館「奇跡のクラーク・コレクション - ルノワールとフランス絵画の傑作-」展が最初の出会いだそうだ。
この展覧会には、印象派の作品を観るためだったようだ。(先生のお勧めの印象派の展示会でもあったのだ。それは、一般論として学生には必見の要素が詰まった展示会だからだ)
そこでは、「このジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」をはじめ、同じくジェロームの「奴隷市場」、アルフレッド・ステヴァンスの「公爵夫人(青いドレス)」、ウィリアム=アドルフ・ブグロー の「座る裸婦」など」が展示されていた。
まさに、圧倒な世界だ。
ただ、そこでは、ルノワールの作品がメインであり、このジャン=レオン・ジェロームの作品は、脇役と感じた様子だ。
そして、筆者が、観賞後、アカデミズム絵画やジェロームについて調べてみると、出てくるワードは「旧体制の重鎮」「印象派を批判したことで有名」「印象派の敵」というような、印象派との対比の話ばかりだった。・・・と語る。

・私の人生において本当に意味を持っている作品
「あれほど美しく、またとても興味深い絵が、印象派との比較や敵対関係でどうとかいう文脈でしか認知されていないことが本当に違和感でしたし、その文脈とは全く関係のない軸でこのジェロームの作品をしっかり学んで分析したいと強く思い美術史を専攻しました。」

そして、その視点は
・印象派の立ち位置への違和感に至る
「印象派は日本もちろん、世界中でとても人気のあるテーマだと思います。マネやモネ、ルノワールをはじめとして日本でも知名度の高い画家も多く、展覧会が開かれれば・・・動員数も毎回安定して多い印象です。」
多くの評価があろうとも、印象派の、このあたりの解説や評価は定着しており、その内容も分かりやすいのだろう。

そして、筆者は「印象派は新しく革新的な美術の潮流でとても良いものだ、という漠然とした印象の一人歩きです」
「もちろんその事実は間違ってはおらず、旧来のサロンを基本とした美術シーンに受け入れられなかったということから考えても、革新的な動きとも言えると思いますが、それはそういう動きだったね、というニュアンスで語られるべきであり、それを基準とした良し悪しの判断とは別物だと思ってます」と語る。
そう、サロンの流れからは、革新的でも、その流れは、やがて、パラダイムシフトしていく事は、不可欠な事実だろう。

・美術が多様性を生み出し
また「先ほどのジェロームの話につながりますが、特に、今の日本で近代西洋美術を学ぶと、時代的に印象派の前なのか後なのか、印象派と、どういう関係だったのかみたいな語られ方が多いので、印象派が正、というふわっとした認識がじわじわと広がってしまう危険性を孕んでいるのかなと・・」
また「美術が多様性を生み出し、それを受け入れていくという大きな歴史の流れの一つ、くらいの認識がちょうどいいのかなと個人的には思ってます。」

私的には、筆者の同様に、美術史は、後から語られる・・そして、その側面と、その時代での観る側の極の多様性を感じるのだが・・。

・観る側の視点(極)の多様性
「また、そもそも芸術は好きか、好きじゃないかがあるだけで、良し悪しの判断はいらないと思うので、そういう考えもある、ああいう描き方もある、というような感覚でアートを楽しむ人が増えるといいなという気持ちで、ここまで長々と書いてみました。」
気付いたら、私の大好きな「蛇使い」についてほとんど語ってないので・・・

「アートは、作者の側の視点(極)と、観る側の視点(極)で構成されて成立する」これは、デュシャンの言葉だが、まさにそうだろう。
そして、筆者のおっしゃるように、観る側の多様性の中で解答はないと言う事なのだ。
表象文化は、その時代の人の意識、科学の発展や、社会問題や自然環境、政治経済等々で、様々な認識があるだろう。
学生の頃には、問題に対して解答はあっただろうし、師もいらした、ただ、社会では、解答のあるの問題は皆無だ、そして、筆者のように、ご自身で考えなければならない。
また、どこかの時点で、ジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」を筆者の視点(極)で拝読致したく存じております。
生活に、美の視点をいつまでも忘れないで、ご健闘くださいませ。
この度は、ご応募ありがとうございました。
(追記)もう1枚、「蛇使い」ジャン=レオン・ジェロームの別のバージョンを載せいておきます。

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Fig.ジェロームによる「蛇使い」:制作の時は不明、ニューオーリンズ美術館(cc)

(お知らせ)コンテストについて
締切日時は、2020年11/14(土曜日)24:00(終了しました)
結果発表は、2020年11/15(日曜日)18:00 です。
締切間際に応募された作品は、当然審査の対象内ですが、
作品評が、結果発表後になることもご了解ください。


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