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呪詛

冬特有の抑うつで寝たきりの日が
夏に比べて圧倒的に多い。
虐待の後遺症で日常の些細な事で
頻繁に親に言われたり、されて嫌だった事が
フラッシュバックする頻度も増え、
重力と刺のある無数の過去に纏わりつかれ
暗澹たる気分に押しつぶされ身動きが取れず、
一日の大半を布団に潜ってやり過ごすしかなくなる。

しかし、寝たきりではあるが、暗い天井を眺めて
そのまま眠れない夜も多い。
生活リズムがいつまで経っても整わない。
通院歴が長くなり、それなりに自分に合った
睡眠薬や睡眠導入剤が処方されているハズだが、
夜しか思うように動けず、日が出てから
ようやく眠れる。そんな毎日が続いている。
そして昼間もしくは夕方に起きて一日が始まる。

もはや人らしい生活を諦め、
死んだように生きている。

この状態をかかりつけ医に伝えたところ、
フラッシュバックを抑える薬が増えた。
複雑性PTSDの人がよく処方されるらしい
朝晩に二種類の漢方もなるべく飲んでいる。
それでも効かない時は全然効かない。
一刻も早くマシになって欲しいと願うばかりだ。

被災者や紛争地帯で生きてきた人のような物だと
通院を続け支援を受け、自認するようになった。

長期間に渡って子でありながら
負わなくていい苦労を負い、
生きるか死ぬかの脅威に晒され、
心身に深刻な傷を負い、
人権や尊厳を蔑ろにされ、
台風の目のような幼い親に振り回され
感情のサンドバッグにされてきた。

長子でもあったから、親との衝突の余波が
弟妹になるべく行かないように
防波堤となり、全く無関係のトラブルの
アフターケアの役割までも担わされた。

その後遺症に苛まれ、女性の叫び声や泣き声、
甲高いサイレンの音や大きい音が家の外から
聞こえてくるだけで過呼吸になったり、
呼吸が浅くなったり、具合が悪くなる。

自分の部屋に鬼の形相で怒鳴り込んでくる時の
異常に大きな親の足音と怒鳴り声を思い出すからだ。

それだけの被害を被っていても、
被災者の人達のような手厚いサポートはなく
基本的に自分で何とかするしかない。
せいぜい医療や相談窓口を駆使して
福祉の専門家に相談するのが精一杯だ。


一昔前の漫画などでは血の気の多いキャラが
「生まれてきた事を後悔させてやる」
というセリフをよく吐くが、
私はずっと「生まれてこなければよかった」と
日常的に後悔しながら生きてきた。
今もたまに、頻度は減ったが、後悔している。

生まれてしまったばかりに苦痛を強いられている。
こんな事なら産まれ損なって流れればよかった。
あんな親から産まれてさえこなければ
自分らは決してこんな幼稚な親の子守を、
無関係な問題の尻拭いをせずに済んだのに。

私は親が親自身の問題から目を逸らす為の
生け贄になるために産まれたわけじゃない。
苛めて楽しむ玩具でもなければ
問題を尻拭いする奴隷でもなければ
淋しいときに望む言葉をかけてやる親でもない。

誰も産んでくれと頼んでもないのに
「五体満足で産んでやった事を感謝しろ」が
親の口癖だった。

そういうおままごとがしたくて見栄と
妥協でくっついたに過ぎない親に限って
「家族円満」だの「親子の絆」だの
家族を巻き込むような仲良しごっこに拘り
年中行事を律儀にやりたがる。

巻き込まれる側からしたら
たまったものでは無いし、いい迷惑だが
それすら向こうは良かれと思ってなのが
尚更タチが悪い。

自分はそんな綺麗事が大好きで計画性のない
ゴミ共の交尾の副産物のゴミだ。

別家庭の旦那を唆して、認知されたいがために
必死で子作りと本妻アピールに明け暮れ、
結局先立たれてシングルマザーになって、
己の幼少期に祖父祖母に貰いたかった
愛情を改めて搾取する依存のターゲットを
旦那から子供に切り替えただけだ。

子育てらしい子育てをしていた時期と言えば
ミルクを与えおむつを替え夜泣きに
付き合わなければならない時期だけで、
小学生になり自我が芽生える前後で
己に迎合するかどうかで愛玩子か搾取子に
組み分けした。

自分が気持ちよく支配できる子は
猫可愛がりし何でも買い与え、
支配できない子は差別し奴隷のように扱い、
外見も内面も一挙手一投足全てを連日口汚く罵る。
私は言わずもがな後者だった。
「親に迎合しない失敗作のごく潰し」として
家庭内の邪魔者として疎まれ続けてきた。

そんな扱いに耐えかねて弟への虐待で通報し、
グループホームに引っ越し、分籍と
閲覧制限(支援措置)の手続きを行い絶縁した。

戸籍を抜けて数日後、連絡の繋がってる妹から
「戸籍から抜けてるのに気づいたみたい」と
報告がなされ、「何か言ってた?」と聞いたら
「『抜ける前に何か一言くらいあっても
 良かったんじゃないか?』とだけ言ってた」
との事だった。

判っていたが、見えてる世界が違いすぎる。
「今までお世話してくれてありがとう」という
別れの挨拶くらい貰えるとでも期待していたのだろう。
それをしなかった私は恩知らずの親不孝者で、
最後まで不義理なやつだったと逆恨みしているのだろう。

身の程知らずの自惚れも甚だしい。

当てつけみたいに遺書を残しドアノブに
ぶら下がったり、欲のまま惨殺せず、
黙って視界から消えて差し上げただけで
こちらが感謝して欲しいくらいだったけれど
それだけ恨まれる加害をした事も、
他人を再起不能にした自覚も無ければ、
命拾いした自覚も微塵も無いのだろう。

自己中心が極まっており、自分が他人にどれだけ
恨まれてるか、どれだけ他人の人生を壊したか、
後遺症が残るレベルのトラウマを植え付けたか、
今後も一生気づかず、周囲から自然と
交流相手が消えていく人生を送るのだろう。

どこまでも哀れでおめでたい事だと思う。

この先身内から危篤だと連絡が入ろうが
見舞いには行かないし、葬儀にも墓参りも
断じて参加しないと決めている。
彼女の人生の幕引きに私は要らないだろう。

未成年の頃から「嫌なら出ていけ」と
怒鳴られながら散々苛烈な虐待を受けてきた。
ようやくその地獄から脱したのだから
わざわざ会いに行く事はしない。

これまでは、私も中途半端な共依存によって
様々な形で親を甘やかしすぎたという反省がある。
よかれと思って中途半端な同情で
彼女の望むことをし過ぎた。

アルコール依存症の人にアルコール飲料を
買い与えるような愚行を犯していた。
親子役割の逆転で、イネイブラー行為だ。

『因果は望む形であれ、望まない形であれ、
必ず報われる。』と、よく読む本に書かれている。
彼女の行いの成果はきっと彼女の望む形ではないが、
その現実に直面して泣こうが喚こうが、
それを「可哀想だから」とケアする必要は無い。

彼女は赤子でも子供でもなく、
いくら想像力が乏しく愚かでも大人で
自業自得なのだから粛々と人生の総決算として
己の因果の報いを受け入れてもらうしかない。

きっと彼女は最後の最後まで駄々をこね、
文字通り往生際悪くこちらの同情を誘い、
無茶な要求を押し通そうとしてくるだろう。
ボケようがボケまいが幼児退行し
こちらの感情を揺さぶるような事を
言ってくると確信している。

周囲の忠誠心を試し「己はまだ人望がある」と
信じたいが為に過剰な期待と要求を押し付けてくる。
他人にそういう接し方しかできない人だから。

でもそんな甘えに答えてやる義理なんか一切無い。
余生と死後を孤独に過ごしつつ
己の罪や愚行と向き合う事で贖罪して欲しい。
それだけが私の望みだ。

生きる活動に使わせていただきます