極端な言葉遣いで【狂】のスイッチを入れる

令和元年皐月28日 毎日ARUYO通信第283回
極端な言葉遣いで【狂】のスイッチを入れる
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昨日は、自分の内側からの感情と外側からの何かがぶつかり合った時を、タイミングと呼ぶのではないか
ということを書きました。
大きな意思決定になればなるほど、どちらか一方だけでは、決め手に欠く。二つが揃っている時こそ然るべき時になるのでしょう。
逆に揃っていない時は、タイミングとは呼べず、どこかに無理があるのかもしれないので、よくよく振り返ってみた方が良いのかもしれません。
仮にその二つが同時に来て、「これぞ、タイミング!」って時に、「エイヤ」で決めたいのですが、
大きな意思決定になればなるほど、あるいは、それが人と全然違うもんだったり、前例がないようなものだったりすると、
たじろいでしまう、頭ではわかっているけど、体が動かないっていう時もあるかもしれないですよね。そんな時、どうするのか?
そんな時は、ある種の狂気みたいなものが必要なのではないでしょうか。
逆に言うと、狂のスイッチが一瞬入るから「エイヤ」ができるのかもしれません。
そのスイッチを入れるのに役立つのは、極端な言葉遣いなんじゃないかと思うのです。
例えば、「絶対大丈夫だ。俺は天才だ。こんなチャンスは俺にしか与えられてないぞ」とか、「よし、世界を変えよう」
などなど、人によって表現はさておき、自分が鼓舞さえされれば何でも良い。普段と異なる行動をしようとしているのだから、いつもと同じ言葉遣いではなく、極端なワードで自分を後押ししてみる、そんな事が良いのかもしれないのではないか?そう思うのです。

稲盛和夫さんは、
研究開発をする場合や、新しいマーケットを創造する場合でも「できる」と強く信じ込んだ、ある種の狂の状態のようなものがないと、どちらも決して成功しないのではないかと思っている
という話をされていたようです。

時に、極端な言葉遣いで自分に狂のスイッチを入れることが、大きな1歩を踏み出す時、渦を生み出す時に役立つのかもしれない。
ずっと狂ってては困りますけれども、
言葉を巧みに操って、自らの状態を作って生きたいものです。
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大きな意思決定や人と異なるチャレンジであればあるほど、仮にタイミングが来たとして、一瞬ひるんでしまうことがあるかもしれない。
そんな時は、ある種の狂気が必要なのではないか?
極端な言葉遣いをすれば、その状態に入りやすくなるのではないか。
普段と異なる行動をするんだから、普段と異なる言葉を使ってみる。
言葉を巧みに操って、自らの状態を作って生きたいものだ。

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