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英語コーチ『朝井ともか』自己紹介

「英語コーチ 朝井ともか」の現在に至るまでの歩みを記事にします。
少し長くなりますがよろしければお付き合いいただければ嬉しいです。

1.高校時代の早すぎる挫折

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私は、帰国子女が多い国際的な高校に一般枠で入学しました。
進学前は、「きっと英語が得意になるだろう」と胸を膨らませていました。

ところが、入学して、次第に絶望します。
米国在住15年のような完璧なネイティブがたくさんいる環境でした。
全く次元が違うのを目の当たりにしてしまったのです。

「この人たちにはどう頑張っても絶対に追いつけない」
「そんな私には海外で仕事やるなんて無理」

そうやって英語を使った仕事を、早くも高校時代で諦めてしまったのです。
英語が得意になって将来は海外で仕事したいと思っていたにもかかわらず、早すぎる挫折でした。

井の中の蛙だったと気づくのは、それから何年も後、社会人になってからです。

2.国内営業→キャリアチェンジを決断

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高校時代に既に海外の仕事を諦めた私は、大学卒業後も海外業務に就くことなど一切考えず、メーカーで国内営業部門に所属しました。

そこでの仕事はとてもやりがいがあり、転職や異動も一切考えませんでした。
一方で、かつて自分と英語力がそれほど変わらなかった同級生が海外で活躍しているのを見ては、複雑な思いを抱いていました。

そして数年後、ある日突然「海外に関わる仕事がしたい!」と強く思いました。

そこで、自分がやりたいと思った仕事について調べたところ、海外の大学院の修士号が必要になることがわかりました。
さらに調べると、米国もしくは英国の大学院がよさそうだとわかりました。

しかし、大学院に留学するにはいくつかハードルがありました。
私にとって第一の最大のハードルが「英語力」でした。

当時の私のTOEICのスコアは635点。
米国の大学院で必要なスコアは、TOEFL(CBT)250点以上。
これは、TOEIC換算で900点超相当のスコアです。

しかも、私が米国大学院留学を目指し始めたのは4月末。
翌年8月下旬開始のクラスへの出願は、翌年1月頃。
従って、準備期間は残り8カ月しかありませんでした

さらに、米国留学院に留学するためには、TOEFLスコアだけ達成すればいいわけではありません。

英語の推薦状を3名に依頼する必要もあります。
志望動機などの出願書類を作成する必要もあります。
さらに、GMAT/GREといった、英語力以外の「学力」を示す試験を受ける必要もありました。

これらのことから総合的に考えて、私がTOEFLに集中できる時間は3~4カ月と判断。
8月末までにTOEFL250点を獲得する!」と目標を立てました。

3.英語コーチングスクールで英語力を一気にUP

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一方で、これだけのスコアアップを自力で行うのは無理と判断。
限られた時間を最大限有効に活用するため、留学専門のスクールに通うことにしました。

そこで見つけたのが、ある英語コーチングスクール。
その学校にかけてみることにしました。

スクールに通った3か月間は、今でも忘れられない熾烈な時間でした。
会社員として勤めながら、平日は1日5時間程度、週末は10時間以上を学習時間にあてていました。
ちなみに、残業の多い職場でした。

とにかく、凄まじい量の学習を行いました。受験勉強以上に学習したかもしれません。体育会系のたいへん厳しいスクールでした。

その努力の甲斐あってか、8月に受験したTOEFLでは247点とわずかに足りませんでしたが、続く9月のTOEFLで250点、10月には263点を取り、無事に留学に必要なスコアはクリアすることができたのでした。

その後、留学に必要なアプリケーション書類やGREスコアを揃えて、推薦状も3通用意した私は、米国大学院に数校アプライし、無事に第一志望のコロンビア大学から合格通知を得ることができたのでした。

正直なところ、留学対策にすべてのエネルギーを注いでいたため、本業はやや手抜き気味だったため、どこも受からなかったらかなりヤバい状況でした。今でも、あの時どこも受からなかったら、と考えると背筋が寒くなる思いです。

こうして私は2年間の米国大学院留学に発ちました。

4.米国コロンビア大学大学院留学時代

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しかし、実際にコロンビア大学院に留学してみると、一生懸命伸ばした英語力でもなお歯が立ちませんでした。

まず、リスニングが厳しい。周りが何言っているかわからない。
スピーキングはもっと厳しい。言いたいことがうまく言えない。
文法的にめちゃくちゃで話しているので、自己嫌悪になる。

とにかく毎日必死でした。
図書館に毎日閉館時間の深夜0時まで残って勉強しました。
それだけ勉強しても、最初の1年は、どうにか中程度の成績を維持するのがやっとでした。

しかし、留学して1年経つ頃には、ずいぶん変わりました。

まず、授業がほぼ問題なく聞き取れるようになりました。
それに伴い、成績が全体的に1~2ランクアップしました。
会話でも、自分の言いたいことを言えるようになり、意思疎通が問題なくできるようになってきました。

そうして、気づけば無事に大学院を卒業できていました。

5.海外ビジネス時代

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留学後は、ある日系機関の海外駐在ポストで2年間勤務しました。すごくやりたかった仕事ということもあり、駐在中は毎日がとても楽しく充実していました。

米国大学院に留学したことによって、以前の私には考えられないような仕事に就く機会を得られて、本当に嬉しかったです。

2年間の任期を終えた後は、日本に帰国して就職しました。
それが、前職である海外関連の調査を行う部門でした。

月1~2回の海外出張があるその職場の仕事も、とても充実していました。
業務内容にはやりがいがあったし、出張先の国で過ごす時間も楽しかったです。

結果的に、前職では、アジアを中心として10か国以上出張する機会がありました。
米国大学院留学、そして2年間の駐在経験がなければ、この仕事に就くことは難しかったでしょう。

そんな風にとてもやりがいのある仕事だったのですが、結婚したのを機に少しずつ自分のなかで不満が多くなっていきます。

かつて大好きだった海外出張も、「あまり行きたくない」と感じるようになりました。加えて、もともと多かった残業も負担に感じるようになりました。

こうして、自分を取り巻く環境の変化によって仕事に対する見方が変わり、そのギャップが大きくなったため、会社を辞めることにしました。

6.英語コーチとして独立

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退職後はしばらくのんびり過ごしました。しかし、だんだん平坦な日常がつまらなく感じはじめ、新しい仕事を始めようと思い立ちました。
その時、真っ先に思い浮かんだのが、英語コーチの仕事でした。

英語コーチングは、米国大学院留学を実現するうえで、私には必要不可欠な存在でした。
この英語コーチングを、今度は提供する側として、夢を叶えるために英語がネックになっている皆さんに、現状を変えるきっかけを提供したいと思いました。
その後、英語コーチングスクール3社の業務を受託し、英語コーチとして勤務しました。

実は、英語コーチになる前、英語を教えたことはありませんでした。そんな私に英語コーチングができるのかという「知識のなさ」に対する不安は最初すごくありました。

でも、実際に仕事をしてみると、知識は会社が共有してくれるノウハウや、自己研鑽で身に着けることができます。

むしろ、
「英語を短期間で大幅スコアアップした経験」
「海外勤務した経験」
「英語で仕事を行うことに苦労しているビジネスマンを多く見てきた経験」
などの、海外事業の最前線にいた経験が、実際に受講生を多く指導する中で、とても役に立ちました。

「英語を教える専門家」ではなく、
英語でビジネスを行ってきた会社員」だからこそ、
共感できることがある。
地に足の着いたアドバイスができる。

実際に残業が多い職場で仕事をしながら留学を実現した経験があるからこそ、響くアドバイスがある。

そういうことを、身をもって感じました。

7.現在、そして未来へ

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英語コーチとして活動し始めて3年ほどたちます。
その間、100名以上の受講生を指導する機会がありました。

スピーキング力を大幅アップした方。
リスニング力を大幅に伸ばした方。
TOEICスコアを大幅アップした方。

さまざまな目標を持つ受講生が、それぞれ目標を達成したり、目標に着実に近づいていく姿を見るたび、とても大きなやりがいを感じています。

海外業務に従事していた頃、「この出張、他の人に行ってもらいたいな」と思うことがよくありました。

実際、海外出張に行きたがっている同僚はたくさんいました。
しかし、英語力がネックとなり、出張を代わってもらえませんでした。

日本には、英語力不足を除けば、海外で活躍できる優秀な人はたくさんいます。
そのような優秀な人たちが英語を身に着けることで、グローバルに活躍する日本のビジネスマンが増えてほしいと思います。

そして、実際に海外駐在や海外部門業務で、日常的に英語で仕事をしている人たち。
そんな第一線で英語で実務を行っている方たちにも、英語にコンプレックスを持っている方が多くいらっしゃいます。

だから私は、「これから海外で活躍する日本人」「いま既に海外で活躍している日本人」のいずれの方々にも役に立つような、英語力向上の支援を行っています。

最後まで自己紹介を読んでいただきありがとうございました!


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