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浅葱色の覚書「西の魔女から『逃ゲロ』と電報。」/西の魔女が死んだ

はじめ

チバユウスケが死んだ。
サンタクロースが死んだ。
西の魔女が死んだ。

前の職場にいた頃、本を貸し借りする仲のよい先輩がいた。その人から「西の魔女が死んだ / 梨木香歩)」「氷壁 / 井上靖」の2冊を借りたのが8ヶ月くらい前。で、そのまま今の職場に来てしまった。そう。実はワタシ、俗に言う"Karipaku -借りパク-"をしている真っ最中である。そんなことを1ヶ月くらい前にふと思い出し、(つまり其れ迄は忘れていたのだが、)あら読まなきゃと頁をぺらとめくった。

なか

「西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。」
なんたるパンチラインだろう。このお話の、不可思議と日常の混ざり合いを見事に表し、その世界にぐっと読者を惹き込む力を持った一節だ。この物語は「死ぬこと」から始まる。
クラスの雰囲気に馴染めず、不登校になってしまった「まい」。その解決策として、彼女はイギリスの田舎に棲むおばあちゃん(a.k.a. 西の魔女)と共に同居することになる。
かつて劇作家の鴻上尚史が、悩みを抱える人々に「とことん逃げる」ようにアドバイスをしていたのを思い出す。哀しくも、体育会系碇ゲンドウに教育を受けてきた多くの若者にとって「逃げること」は恥ずべき行為と刻まれている。
まいも逃げた。
でも、それでよかったし、そうでなければダメだったろう。逃げた先でまいは、おばあちゃんから大切なことを学び、逃げたが故に本当の意味での友人と出会える。

この物語で好きなのは、「クラスに馴染めなかったまいが、クラスに馴染めるようになる」話ではないところだ。クラスには馴染めていないと思う。(因みに、所謂”クラスに馴染む”とは、”クラスの明るいやつらと馴染む”ということに近い。たぶん。)でも彼女は、彼女の場所と哲学を手に入れる。それがよいのだ。あと、この物語の一つのポイントが「逃げること」の肯定である一方で、「死ぬこと」という逃がれられないものも描いているところもよい。そして、そこから生まれるものもあることも。

この物語は「死ぬこと」から始まる。まいの新たな一歩も、西の魔女が「死ぬこと」から始まるのだ。

おわり


死ぬのは嫌だし、死なれるのも嫌だ。我々は生きなければならない。そのために逃げるのだ。ワタクシゴトでキョウシュクだが、最近、心がぐちゃぐちゃになっていたりした。遠くの国の戦争のことやら(みんな寄付とか署名とかしてね。)、友達に感じた変化やら、自身のアイデンティティのことやら、やらやらである。無論、それで私は死ぬわけにはいかない。また生きるために、逃げてやろう。

チバユウスケが死んだ。まずは本の持ち主に、この本を返さねば。



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