見出し画像

浅葱色の覚書「ゴーストワールドから手をふるアイツ。」/ゴーストワールド

はじめ


映画「ゴースト・ワールド(2001)」を観た。大学の卒業研究ではティーンムービーについて扱った私であるにも関わらず、当時はこの作品を見る術がなくスルーしていた。実は現在、22年ぶりにリバイバル上映されており、全国でゴースト・ワールドファンとゴースト👻が盛り上がっているのである。その熱に乗っかり、私もどどんと劇場で観てきた

ワケではなく、

amazonでDVDを取り寄せて、おうちで縮こまって観た。地方に住まう身なんでね、ええ。



なか

レベッカとイーニッド


高校を卒業したイーニッド(ソーラ・バーチ)&レベッカ(ブラック・ウィドウ)。大人に、社会に、陽キャに中指を立てながら高校時代を共にした仲良し二人組。二人で過ごした煌めく日々は紛れもなく「青春」でしょう。

しかし卒業後、彼女らの関係に変化が訪れる。モラトリアムとして過ごすイーニッドと、少しずつ社会に順応していくレベッカ。暇つぶしとして独身おじさん(スティーブ・ブシェミ)の恋愛を応援したりして楽しむイーニッドであったが、空虚な日々は空虚なまま。レベッカとの関係も、自身の恋愛も、進路も、何一つ定まらない。


要するに、子どものままじゃいられないのである。ハイスクールの青春を引き摺ったまま、大人になることはできない。哀しいが、切ないが、きっとそうなのだ。私だってそうだ。本当に楽しくて楽しくて堪らなかった大学時代のキラキラは、地元に帰ると共に、横浜に置いてきてしまったのだ。埋め立てられて、そこにみなとみらいができたのだ。だからみなとみらいの夜景はキラキラしているのだ。みなとみらいのくだりは嘘だが、その前文は本当である。

話を戻すと、兎に角「青春を持ち込んでは、大人になれない」のだ。大人が青春を体験したければ、「振り返る」しかない。(大人にとっての救いは、そうやって振り返って見る青春に、現在進行形で青春を過ごす者には気づけない異次元の美しさがあるということ。)青春とは、ゴースト・ワールド。背後にぼんやりと煌めきながら残酷に、美しく存在する。
レベッカはバスに乗り、そんなゴースト・ワールドから旅立つ。



おわり


HPを見ると、この作品は「ゼロ年代カミング・オブ・エイジの伝説的傑作」と謳われている。(因みに「カミング・オブ・エイジ」とは「成人」とか「大人になる」とかそんな感じの意味。)まさしく、大人になる二人の少女(=彼女らの青春の終わり)をポップに、且つ繊細に描いた大傑作であった。彼女らの関係は、今後どうなるのであろうか。もう一生会わないのかな。たまにメールするくらいの感じかな。週一で会うのかな。

ついしん:衣装とか、スティーブ・ブシェミとか、脚本とか、いろいろ触れたいところもあるが、散り過ぎてしまうので(あと段々「批評」になってしまい、それはこのnoteの趣旨と反するので)触れなかった。また気が向いたら、書くかも。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?