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【ノンフィクション本大賞ノミネート作】摂食障害、アルコール依存症、認知症…妻の介護を綴ったルポ『妻はサバイバー』著者の願い

 精神疾患を抱えた妻(49)の介護と仕事、その両立に悩み続けた20年近くにわたる日々──。朝日新聞デジタルで大きな反響を呼んだ連載に加筆した『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)が、第5回ノンフィクション本大賞にノミネートされました。著者で朝日新聞記者の永田豊隆氏に、ともに本を作った編集者がインタビューしました。「週刊朝日  2022年6月10日号」からの記事を特別に公開します。(※取材は2022年5月に行いました)

永田豊隆著『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)

――本の発売から1カ月近く経ち、多くの感想が寄せられています。

 反響の大きさにとても驚いています。「あまりの壮絶さに驚いた」というご感想をたくさんいただきましたが、私にとっては意外な感じがします。というのは書いたことは日常なんですね。やはり妻のような疾患のことはあまり知られていない。同じような障害を抱えている皆さんは、ひっそりと人知れず生きている。それが大きいんだろうなと思います。その壁が大きいからこそ「壮絶だ」という驚きにつながるように感じます。

――当事者の手記がほとんどない中で貴重な記録になっている、という評もいただいています。身近な方の反応をお聞かせいただけますか?

 今回の出版を世界で一番喜んでいるのは多分、妻じゃないかと思います。「私みたいに苦しむ人を減らしてほしい」という妻の言葉に背中を押されて連載を始めた経緯もあります。妻はゲラの段階から何十回となく通読して、本になったら感慨深く眺めながら何度も最初っから最後まで一日の半分以上読んでいるんじゃないかと思うぐらいです。同じ本を擦り切れるまで読むのは最近の傾向としてはあったんです。認知症になると内容を忘れるからということもあるんでしょうけど、もしかすると何度読んでも初めて読んでいるような感じなのかもしれないですね。同僚からも好意的な反応が多く、後輩の女性記者から「最後のところ、読んで泣きました」という電話がありました。「お前がこんな状況だって知らなかったよ」という声もよく聞きます。

――この20年を振り返ったとき、特に苦しかったのはいつごろですか。

 時期でいうと二つあって、一つは精神科を本人が受けようとしなかった最初の5年間、受診自体が大きな壁だった時期です。もう一つは断酒するまでの最後の2年間ですね。どちらもまったく希望が見いだせなかった。最後の2年間は冷静に考えると精神科医療、特に依存症医療の限界という課題もあると思いますが、どこも引き受け手がなかったんです。一般の精神科では「飲酒の依存症がかなり進行しているから」ということで診てくれない。一方、依存症の専門医の対応は、本人が頑張ってお酒をやめて治療プログラムなどに足を運ばないと基本的にはサポートがないんですね。内科も「お酒を飲める体にして帰すだけになるので、もう診ません」という対応ばかり。このまま痩せ衰えて死んでいくんだろうかというのが最後の2年でした。そこから予想外の認知症がわかって治療の方向が変わり、今に至るのですが、あのままだったら今ごろ生きていませんでしたね。

「妻はサバイバー」は2018年、朝日新聞デジタル、大阪府内版などで連載。大きな反響を呼んだ

――厳しい状況で周囲の方に助けられた経験を書かれていますが、無理解に苦しんだことについてお聞かせください。

 確かに私は周囲との関係ではかなり恵まれていたと思いますが、苦しんだこともあります。一つはアドバイス、助言をしたがる人が多いことです。情報を与えてくれるだけならいいのですが、本当に困っているときの助言は暴力に等しいときもあるんです。例えば「力ずくで酒をやめさせろよ」「入院させればいいじゃないか」という類いです。強制的な入院が本人に心の傷を残してその後の治療を難しくすることもあるというのをわからずにおっしゃっていて、助言してもらいながらひどい言い方かもしれませんが、一種のマウンティングではないかと思うときもあります。助言する側のほうがなんとなく優位に立てるという心理があるのでしょうね。逆に本当に力になってくれた人たちというのは、目の前にいる永田が大変そうだ、力になってあげたいと、わからないことをわかった上で接してくれるんです。摂食障害や依存症のことがわからなくても、力になりたいというスタンスを示してくれるだけで気持ちが楽になることも多いんです。同僚で、発達障害の子どもを育てながら、そのことを記事に書いている記者がいるんですけど、そういう仲間たちとお互いのぐちを言い合ったりするのも、すごく力になりました。

――精神科医療など制度的な問題について、どのようにお考えですか。

 日本の精神科医療がトラウマを重視していないと感じます。精神疾患の大元の部分にトラウマがある場合、そこにきちんとアプローチしないと、様々な悲劇がこれからも起こると思います。問題の根本に薬物治療と入院治療だけに頼っている現状があるような気がします。精神科の場合、受診自体を敬遠するケースは残念ながらすごく多いんです。これは本人のせいではありません。症状の特性で自分が病気だという認識を持ちにくいこともありますが、一つは社会全体の理解が少ないこと。「そんなところに行かされたら終わりだ」と。しかし精神科医療の現状を理解して嫌がっているという側面もあると思うようになりました。いったん入院したら長期入院させられてしまう。「医療保護入院」が適用されれば本人の意思とは別に入院させられる。本人からしたら拉致されて隔離される経験ですよね。私もこの制度を散々利用してきたわけですが、そこの迷いや自戒も含めて、この本を書きました。

――連載を本にまとめるとき、エピソードを加筆していただきました。

 妻の料理のことや引っ越しのときにアジア系の女性に花をプレゼントした話などを盛り込みました。今回のルポは私自身の格好悪いことも含めてあるがままに書こうと心がけていたんですけど、そうすると妻はとんでもないだけの人に見えると思ったんですね。大変なこともいっぱいあったんですけど、普段は笑ったりバカを言ったり、人として当たり前のやさしさや温かさを持った人間ですから。「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」というサイトを見て、私たちが書いてきた薬物事件の報道って、その人を人間として描いてきただろうかと思ったんですね。このルポも身近な人のことをちゃんと人間として書いているかという問いが自分に刺さって、それでいろいろな記憶がよみがえってきて、エピソードを加えたんです。この本が、似たような状況で困っている方の参考になったり、精神科医療を考えるきっかけになったりしたら、うれしく思います。それは妻の強い願いでもあります。

(聞き手/四本倫子、構成/週刊朝日・堀井正明)

※週刊朝日  2022年6月10日号より転載


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