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「また定住しようとは思わない」40カ所以上で暮らした女性の多拠点居住のリアル【「多拠点居住」にトライした2人の実感①】

 特定の「家」を持たず、その時々で好きな住居を転々とする暮らし方がある。これを「多拠点居住」、多拠点居住を選択した人々を「アドレスホッパー」などと呼ぶ。2021年6月に刊行した『移住。成功するヒント』(朝日新聞出版)から、実際に多拠点移住にトライした女性を紹介する。
(初出:AERA dot. 2022年7月24日)

『移住。成功するヒント』(朝日新聞出版)
『移住。成功するヒント』(朝日新聞出版)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴うリモートワークの一般化が、会社員を含めた多くの人々にとって「移住」を現実的な選択肢にしたとすれば、「多拠点居住」を現実的なものにしたのは、住まいのサブスクリプション(サブスク)サービス、つまり、「定額住み放題サービス」の登場だ。月々一定の料金を払えば、全国に点在する提携物件などを好きなだけ利用できる。

 家に縛られず、好きな時に好きな場所で暮らすことへの憧れはあっても、実際にどんな日常になるのかは、なかなかイメージしにくい。定額住み放題サービス「ADDress」に入会し、すでに40カ所以上で暮らしたという久米恵さんの第一印象も、「こんなサービスがあるのか」という「衝撃」に近いものだった。

 久米さんは、生まれも育ちも大阪という生粋の浪速っ子。大学卒業後、いくつかの仕事に就いたものの、常に「何かが違う」という思いがあり、30歳を目前に一念発起。ワーキングホリデーを利用して2年間、イギリスへ留学した。多国籍の人が集うロンドンに住み、「ありのままの自分でいいんだ」と実感できた貴重な年月だった。永住してもいいとまで思ったが、ビザの関係でやむなく帰国。再び大阪で事務の仕事をしつつ、興味のあったアンティーク雑貨などを扱う事業を自ら興した。

久米恵さん。大阪府生まれ。大学卒業後、いくつかの職業を経験したのちに渡英。現在は、会員制サイトのライター兼ライフデザイナーとして活動

 しかし、次第にモノへの執着が薄れていき、自分の仕事にも疑問を感じるようになる。一度すべてを手放して、自分を見つめ直す時間を持つことにした。

「そのころ、仕事の関係で月に2回は上京していたので、『いっそ東京に住んでみようかな』と思ったんです。じゃあどこに住もうか。あれこれ検索していたとき目に飛び込んできたのがADDressでした」

 最初は驚いた、と久米さん。

「こんなサービスがあるのか、と。いろいろな場所に住めるのも魅力だし、移動するなかで気にいった場所が見つかるかもしれない。あんまり希望とドンピシャだったので、1回落ち着こうとページを閉じました(笑)」

 何度もADDressのサイト読み直して、じっくり考えて。迷いはあったが、やってみたいという思いは変わらなかった。半年間のプランで入会した。

「とにかく環境をガラッと変えたくて。そのためには大きな変化が必要だろうと思ったのが動機でした」

 久米さんが入会した「ADDress(アドレス)」は、古民家などの空き家や遊休物件をリノベーションし、家具、家電付き、電気代・ガス代・水道代・Wi-Fi利用料をすべて含めて月額4万4000円(税込み)で住み放題というサービスを提供している。1物件あたり月に最大14日まで滞在でき、追加料金を支払えば、好きな家に専用のベッドを確保しておくこともできる。各物件には「家守(やもり)」と呼ばれるコミュニティ・マネージャーがいて、会員同士や地域の人との交流、その土地ならではの体験などをサポートしてくれる。

千葉・習志野邸の久米さん専用ベッドで。広々としたリビングとダイニングを備える習志野邸では、会員同士のパーティーが開かれることもある

 久米さんは入会後、東京・二子玉川の家に専用ベッドを持ちつつ、そこから全国の家へと移動する多拠点生活をスタートさせた。フリーランスのライターとして活動を始めたことから、リモートで仕事ができる環境も整い、時間が許す限りいろいろな家に滞在し、地域と交流する生活が始まった。

 いまでこそ、ADDressの物件数は全国に200軒以上あるが、久米さんが入会した3年前は20軒前後で、交通の便の良くない場所も多かった。駅から徒歩30分という物件もざらで、思わず「どうやって行くの?」と天を仰いだこともあったという。

「普通の住宅街とか、すごい田舎とか、ADDressに入っていなかったら絶対に訪れなかっただろう場所ばかり。でも、わざわざ目指してそこに行くというのが、逆におもしろかったですね。“暮らす場所を移動している”という感覚になれるんです。そう、旅というよりも暮らしに行く、という感じです。だから私の場合、予約が取れれば、5~7日はひとつの家に滞在するようにしています。家に着いたらまず近所を歩き、スーパー、銭湯、レストランなどを探します。ここで暮らす、という目線で歩くのが楽しいんです」

 確かに、観光地でもない普通の住宅街を訪れることは、知り合いや親戚でもいなければ、なかなかない。望めばそこに定額で住めるというのは、得難い体験となるのは間違いない。実際、ADDressを使って訪れた街が気に入り、移住を決めた人もいるという。そう考えれば、地方移住を考えている人にとっても、定額住み放題サービスで短期間暮らすことは最初の一歩になり、便利なシステムといえそうだ。

 久米さんには、実際の多拠点生活についても詳細に聞いた。

 民家がベースの家の場合、屋内には個室やドミトリーのほか、キッチン、リビング、お風呂、トイレ、洗面所などのパブリックスペースがあり、誰がどんな順番で使うかは話し合い、譲り合って決める。食事は、基本は個人個人で摂るが、家守の計らいで、全員で料理をしたり、外食したりすることもあるという。

習志野邸のキッチンで。基本的な調味料は常備され、個人で買ったり作ったりしたものは名前を書いて冷蔵庫へ。浴室や洗濯機を使う順番は相談して決める

「ルールはあまりないので、基本は個人の判断ですね。先日も、私がごはんを作っていたら、男性の会員さんがキッチンに来て。『一緒に食べますか』って聞いたら『いいんですか?』と喜んでくれたので、彼の分も作ってあげました。そのお礼に旅行のお土産をくれたりして。そういうコミュニケーションも新鮮ですよね。本当に気楽に、その場のノリで決められます。冷蔵庫に自分が買ってきたものを入れるときは、名前を書きます。ときどき、間違って人の食料を食べてしまう人もいるので(笑)。自分のおすすめしたいボードゲームを持ってきて、みんなでやることも。テレビがない家がほとんどですが、ホームシアターを楽しむこともあります」

 空き家を利用するため、地域の活性化にもつながるADDressという仕組み。ただ単に移動して住むだけでは、そこまで魅力を感じることはなかったかも、と久米さんは言う。数年にわたりこの生活を続けられた理由のひとつには、各家の家守の存在が大きく、それぞれの生き方、仕事の仕方などを見聞きするにつけ、教えられることが多かったという。

「たとえば、千葉県の南房総邸には1937年生まれの最年長家守さんがいて、現役のカメラマンでもあります。深いお話も多くて、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれました。横山さんは毎日、法華崎という海岸で夕日の写真を撮っているので、一緒に行って陽が沈むところを眺めたりします。1~2時間、空の色が刻々と変化する様子を、ただぼーっと眺めながら自分のことを考える。日常のなかで、そういう時間を持つことが、とても貴重に思えました」

 多くの人が行き来しているため、家守に限らず、老若男女、さまざまな人に会える。それも貴重な体験のひとつだ。

「ここでは、たまたま出会う人たちばかりなので予定調和がなく、そのぶん新鮮でおもしろいんです。利害関係もないし、相手の肩書も知らないから、お互いの人間性だけで触れ合えるので、とてもフラットな関係が築けます。たまたま今日、同じ家で出会った人同士、というシンプルな関係性。それがとても心地いいんです。そこから、ときには仕事につながることもあれば、趣味の世界を広げてもらえることもある。とてもいい場になっていると思います」

習志野邸では、宿泊する人の名前や予定は、ホワイトボードに書き込むことになっている。ここを利用している人全員の動きを把握することができる

 もちろん、会員のなかには、こうしたコミュニケーションを望まない人もいるが、それはそれでOK。リモートワークのために使いたい人は個室にこもって仕事をし、誰とも会話をしなくてもなんの差し障りもない。基本は長くて1~2週間の滞在なので、個人の生活を崩さずに利用できるところが、定住するシェアハウスとの大きな違いだ。自由度が高いので、どんな人でも気軽に使うことができるのだ。

 精力的にアドレスホッピングを続け、新しい場で見聞を広め、人と出会ってきた久米さんだが、常に動いている生活に少し疲れを感じ、休会した時期もあった。千葉県の習志野邸という人気の家に専用ベッドを契約し、別途、借家探しもしたが、結局、完全に多拠点居住から離れるという選択にはいたらなかった。

「一度休会して習志野を拠点にしたら、だいぶ気持ちが落ち着いて、この生活に対する見方も変わりました。それまでは常に自分が訪ねていっていたのが、今度は受け入れる側になり、精神的にいいバランスになったようです。それでまた、変化を求める気持ちが募ってきて、新しいホッピングを始める気分にもなりました。やっぱり、おもしろいんですよね、ADDress生活。それを知っているぶん、まだどこかに定住しようという気持ちにもなれないので、もう少し、この生活を楽しむ予定です」

(構成/生活・文化編集部 清永愛)


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