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背に生えた刃 2-3

 最も厄介なことは、彼女が、どこに問題があるのかを正確に分かっているということだった。彼女が、自分が悪いということをはっきりと分かっていることが何よりの問題だった。相手にもきっと非があるのだろうが、彼女にもまた非があることは確かなのだ。

「ねぇ、つばさの初恋の相手ってどんな子?」
 和食屋を出ると、自分の行きつけのバーに場所を移した。
 重く長い話のあと、一向にビールを呑む気にならなかったくせに、店を出てみたら結局ふたりとも飲み足りない気分だったのだ。
 薄暗い店内のカウンターに並んで座り、彼女は甘いラム酒のソーダ割り、自分はストレートをそれぞれひとくち舐めると、彼女が聞いてきた。
「中学の先輩だったよ。背が高くてスポーツ出来て、カッコいい感じの」
「女の先輩?」
「もちろん。周りにも普通にオープンにしてた。最初は驚かれたけど、女子って結構、片想い中の友達には、どんな相手を好きだろうと協力してくれるんだよね。知らないうちに、めぐりめぐって先輩本人にも伝わっちゃってさ」
「えー、大丈夫だったの?」
「それが、先輩の方も、後輩の女子からカッコいいって言われることはまんざらでもなかったみたい。たまに校内の廊下ですれ違うときに、先輩の方からちょっかい出してくれたりして、それはそれでラッキーだった」
「いじめられたりしなかった?」
「全然。オープンすぎて、からかう気にもならなかったんじゃない?」
「それからは?」
「高校のときに、ふたりほど」
「何それ、詳しく聞こうじゃないの」彼女が笑った。

「やっぱり、カッコいい感じの人が好きだったの?」
「いや、小動物系のちょっと危うい感じの子が好きだったな」当時のことを思い返しながら、グラスをくるくると回した。「中学の頃に好きだったような、カッコいい感じの人にときめくこともあったけど、それはただのときめきでしかなかったような感じ。実際に好きになる人は、自分の手をすり抜けていくような、一筋縄ではいかない人ばかりだったよ」
「つばさって不毛な恋をするタイプだったんだね」
「君に言われたくないね」
 がーん、と言いながら彼女がカウンターに突っ伏した。「付き合ったりはしたの?」突っ伏したまま、頭だけを転がしてこちらを向きながら彼女が聞いた。
「残念ながら……つばさが男だったら付き合いたかったとか言われたときは、さすがに切なかったけどね」
「そっか……」彼女は眉をひそめながら、真っすぐにこちらを見た。「確かに、つばさが男だったら……」
「断言できる。君は絶対に付き合ってくれない」
「そうかも」彼女は意地悪くニヤリと笑った。「でも、誰にも言えないことを打ち明けられる唯一の相手だったと思う。男だろうと、女だろうと」

「わたし、付き合い長いはずなのに、今の今までつばさが女の子が好きだなんて知らなかったけど」
 彼女が恨みがましく言うと、カウンターの奥で静かにグラスを拭いていたマスターが、ははっと笑い声をあげた。
 マスターには随分前に、その場の軽いノリでカミングアウトしている。彼女が「今日初めて聞いたんですよ、付き合い長いのに」と愚痴をこぼした。
 マスターはおどけた調子で笑い、「僕も最初は驚きましたけどね、つばささん、気さくな普通の女性に見えるから」と言って、また静かにグラスを拭き始めた。
「そうだね・・・気づいたら友達にも家族にも言わなくなってた」
「いつから言わなくなったの?」
「あえて言えば大学の頃だけど・・・自分が言わなくなった、というよりも、言っても相手に本気にしてもらえなくなった、かな。同性愛なんて、若気の至りだって思う人は多いし、女性は特に、女性同士で可愛いとか好きとか褒め合ったり、手をつないだりするでしょ。それと同じに見られることも多かったから」
 そのころの自分が感じていただろう痛みを思ってか、彼女は一度目を伏せた。
 ただ、彼女が想像しているほどにはきっと痛くなかったはずだった。

「つばさは、これからどうしたい?」
 目を伏せたまま、彼女は言った。
 自分は、彼女ほどには、自分の問題がどこにあるのかを正確に把握していない。
「意外と、現状に満足してるのかも」
「強いね、つばさは」
 彼女は目を上げなかった。

(つづく)


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