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変化が欲しいのか、ネタが欲しいのか

この半年、シリーズもののセミナーに参加していました。
その中で繰り返し言われたことが

「変化が欲しいんですか? ネタが欲しいんですか?」

という問いでした。

繰り返し問われるうちだんだんわかってきたことには
その2つの違いは
 

「気づいたのか、気づかなかったのか」

 
ということなのではないか、ということです。

少し前に
「気づく」の語源は「傷つく」である
という話を聞いたことがありますが

変化って、言い方を変えれば
「これまでのやり方・あり方を捨てる」
ということ。
どうしてもその瞬間「自分への否定」が
発生することになります。

だから、変化のスタートは
やっぱり「傷つく」ことなんだと
思うのです。

「傷つく」ことを許容できなければ
本当の意味では「気づく」ことにはならない。
きっとその場合には、新しネタとして
取り込まれていくのでしょう。
 
それが悪いわけではもちろんありませんが
ネタはあくまでネタで、自分の都合のいいように
味付けをして活用するものなので
自分自身の変化、には繋がりにくいかもしれません。


変化とは、気づくことで、起こるもの。
気づくことは、傷つくこと。



もし自分に対して、或いは他の誰かに対して
変化を求めるのであれば
自分やその誰かが
「安心して傷つくことができる環境であること」
がとても大切になっています。

誰かに対して変化を求めているのにそうならない場合
その相手にとっては
自分と共有している場が(あるいは自分自身が)
「安心して傷つくことのできる環境(存在)」では
ないのかもしれません。平たく言えば
「ここでならやってみても大丈夫だ」とか
「この人の言うことならきいてみよう」とか
そういう感覚が
相手に芽生えていない可能性があるということですね。


変化が欲しいのか。ネタが欲しいのか。


もし変化を求めるのであれば
「傷ついてでもやってみよう」と思えるためには何が必要?
という観点で、アプローチしてみてはいかがでしょうか。

自分の少ない経験からでは
そやってアプローチしていると
ネタだけ仕入れても通用しないことに
「気づく」ことが多いです。
例えば誰かほかの人に変化してほしいと
思っていたのだとしても
なぜか、私自身が変わらざるを得なくなってしまう。
という。


結局のところ、人を変化させるにしても
先に自分自身が変化しないといけないように
できてるのかもなぁ…なんて思うのでした。

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