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大事なことは「相手から何が返ってくるか」ではなくて「自分自身が何を表現したか」なんだ

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチで
スタンフォード大学の卒業式のものがあります。

https://youtu.be/RWsFs6yTiGQ
 
この中で彼は、30歳頃の「有名な失業」
つまりAppleを辞めることになったことに触れ
自暴自棄になりそうな時期を経たのち
 
「それでもまだ自分の仕事を愛している」
 
ということに気がついた、と言っていて。
 
そして作った会社NeXTが、その後Appleを救い
Pixarはたくさんの人に夢を与えたという話を
反芻して、感慨にふけってみています。
 
 
相手が、自分を拒絶した(ように感じた)とき
それを受け入れることと、それと同時に
「それでも愛している」と認めることは
ひとつの、成熟の形なんだとおもうのです
 
多くの場合、それを受け入れられなくて
自分からも相手を拒絶するようになったり
反対に、相手を執拗に追いかけたり
自分の正しさを証明しようとしたり
相手への愛を、ストレートに表現するのを
辞めてしまうんじゃないかなぁ
自分の気持ちを持て余すというか?
 
 
私も、ずいぶん、そんなことをしてきました。
 
大好きな相手や大切なものに対して
口汚い言葉を向けたり、批難したり
恨んだり、呪ったり、たくさんしてきました。
 
 
大事なことは
「相手から何が返ってくるか」ではなくて
「自分自身が何を表現したか」なんだ、と
気がついたのは、つい最近になってからで
 
 
相手や対象がどう反応するか、は
実はそれほど大きな問題ではなく
 
好きな人を「好き」と言えているか
大切なものに「大切だ」と言えているか、こそが
重要なんだということが、やっとわかってきました。
 
 
相手が受け取らない
思い通りの展開にならないことを理由に
「あいつはおかしい」とか
「もうこの場所は終わりだ」とか
そんな表現に置き換えていないだろうか
 
 
好きな人をこき下ろしたり
大切なものを批難したり
そんな窮屈さや苦しさを
自分で自分に課してないだろうか
 
 
相手が受け取らない
思い通りの展開にならないときは
 
「それでも、愛してると言えますか」
 
「それでも、愛してると言えることを
 そもそもやっていますか」
 
と、問われているときなのかもしれないね。
 
そして、その先にまた別の可能性が
開いたということかもしれないよね。
ジョブズの、NeXTやPixarのように。

 
反省したい出来事は、たくさんあるし
このことにあの時気がついていたら…と
悔やまれるシーンはいくらでもあります
 
「受けとってくれたら、愛する」という
いわゆる、取引のような付き合い方を
たくさんしてきました
 
そこには、その時々、様々な理由があって
そうせざるを得なかった自分の事情もあり。
だから、それはそれでもう、いいのだけど
どうせ終わるものなら
もう少しいい形の着地であるに越したことは
なかったな、と。
 
 
きっと、この先も
相手が受け取らないことや
思い通りの展開にならないことが
たくさんたくさんあるだろうとおもいます
 
だからこそ、この先は
 
「それでも、愛してると言える」
 
「それでも、愛してると言えることを
 そもそもやっている」
 
 
とおもえることに
できるだけ多くの時間とエネルギーを
使っていかないと、とおもうし
 
そのためにも、そうおもえないことに
割く時間やエネルギーは
できる限り減らしていかなければ。
 
 
いつ終わるか、分からない命。
 
どうせ終わるものなら
少しでもいい形の着地であるに越したことは
ないもんね。

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