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私が法律家を志した理由。二十歳の私は、憲法にヒューマニティーを感じた。

なぜ弁護士を目指そうと思ったのか。たまに聞かれるたびに、「就職活動がいやだったから」とか「手に職があったほうが女性は生きていきやすいと思った」とか、そんな風に答えてきた。

これらの理由は嘘ではないけれど、どちらかといえば後付けで考えた理由だ。

実際のところを言えば、大学1年生の夏休みころに「弁護士になるのはどうだろうか?」と突然思いついた、というのが真相だ(弁護士の知り合いは誰もいなかったし、法学部でもなかったのに)。

人の決断にはさしたる理由なんてないと私は思っていて(理由はだいたいもっともらしく後付けされる)、私の人生の選択は確固たる覚悟で決めるというよりは、「そうなるべくして、そうなった」ということが多い。

それでも、「この道で行こう!」と私のハートに火をつけてくれた出来事はあった。

伊藤真先生の憲法の講義だ。
伊藤先生は、司法試験を目指している人であれば誰でも知っている司法試験指導のカリスマであり、そして弁護士、「憲法の伝道師」としていまなお最前線で精力的に全国で活躍されている。

私は法学部ではなかったので、大学で体系的に法学を学んでいたわけではなく、弁護士を目指そうと思っていたくせに「法律なんてつまらない決まりごとばかり書いてあるんだろうなぁ」と思っていた。

ところが、伊藤先生の憲法の講義を聴いて、私はいたく感動したのだ。

勇気をもってもう一度、個人の可能性に、人類の可能性に賭けてみよう。
自分たちの意思でシステムを幸せのために使っていこうではないか。

憲法がそう呼びかけてくれるような前向きさを感じた。

ああ、憲法というのはヒューマニティーに根ざしているんだなぁということを体感したのだった。

日本国憲法の中核的価値はなんだと思いますか。

と聞かれて、学校で習った三大原則かな?と思ったのだけど、
もっと端的にそれを規定している条文がある。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法13条だ。

生命、自由そして幸福追求に対する権利が、国政(国家の運営)の上で、最大の尊重を必要とする、と謳っている。

私は、法文の中に「幸福」なんていう言葉が出てくると思っていなかったので、すごく感動した。

いろいろ難しいことも書いてあるけれど、結局は、人々の幸せが大切だということ。シンプルだ。

そのための政治であり、国家であり、法律なのだ。

当たり前かもしれないけど、とても嬉しかった。

憲法が日本の最高法規ということは、すべての法律は突き詰めると「個人の尊重」と「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利」のためにあるということだ。

そう思ったら、なんだかやる気が出てきたのだった(単純)。

理想と現実のギャップは嫌というほどあるし、
法律家として実務につくようになって、憲法や法律では解決できないことも本当にたくさんあると感じる。

それでも、あのときの伊藤先生のおかげで私は、法というものは<無機質で画一的な人を縛るルール>ではなくて(そのように機能してしまう場面ももちろんあるけれど)、根底には人間への愛があるのだと感じることができた。

私が、法律家の仕事を誇りに思っているのはそういう部分だ。

なんで弁護士になったのか?

今度そう聞かれたら、憲法が愛に根ざしていることに感動したからだ、と素直に答えてみようかな。(あまりにイノセントで気恥ずかしいのだけどさ)

(了)

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