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『千路』 朗読脚本


『千路』 麻草郁


いつ、どことも知れぬ場所

登場

語り部 少女 
ひばり 平板な音で言葉を奏でる鳥
旅人 少年、青年、老人
妹 姉を探している子供

□語り出し

語り部「何から残そうか。生きてきた証を、私が生きてここにいたという   
    証を残すには、何がふさわしいだろうか。たとえば色、命の証、
    血の色、髪の色、肌の色、そういった、光を反射する構造の
    すべてを、ここに残しておくことはできないだろうか」
ひばり「できませんね」
語り部「と、窓際にとまったひばりが、歌うようにささやいた。
    気が付けば、私は列車の窓際に座っている。背もたれを触ると
    柔らかい、ビロードの手触り。鉄の窓枠に、ニスを塗った木の壁。
    二つ並んだ座席が、向かい合わせに四つ。私は窓の外を見る。
    さびれた石造りのホーム、その向こうには草原が広がり、いくつ
    かの木と、標識。遠くにはなだらかな山々が見える」
ひばり「走りませんね」
語り部「列車はずいぶんと長い間、動いていない。ひばりは首をかしげて、
    進行方向を見る。私も合わせて窓の外を覗き込む。ホームの端で、
    駅員が、ぼんやりと信号機を眺めている。もしも信号の色が変われ
    ば、この列車は動き出す」
ひばり「変わりませんね」
語り部「いつまで経っても、列車は走り出さない。
    だから私は、これまでに通ってきた景色を思い出す」

□町と町、人と人

語り部「その駅は、町のなかにあった。
    かつては何もなかったところに、大きな町と町をつなぐための道路
    が作られて、道路の重なるところに人が住みはじめ、やがてそこに
    暮らしが生まれた。より多くの人や物を運ぶために線路が通り、
    駅のまわりは大いに栄えた……その人は、大きな荷物を持って、
    列車に乗り込んだ」
旅人「すみません、その席は空いてますか」
語り部「それはまだ若い少年で、ずいぶんと疲れていて、いまにも倒れ
    そうに見えた。私は社交的な笑みを浮かべて座るようにうながし
    た。その少年は、少しだけ安堵の溜息をついて、大きな荷物を
    網棚に置き、座席に座った」
旅人「やれ、ひとここちつきました。この町で行商をしていたのですが、
   どうしても故郷に帰らねばと、あわてて切符を買ったのです」
語り部「やがて、列車はゆっくりと走り始めた。町の人々が暮らす家の
    軒先が、ひとつひとつ、窓の近くをすべるように去っていく」
旅人「急な出立でしたから、町の人たちにあいさつもできず、申し訳ない
   ことをしました」
語り部「青年は、名残惜しそうに行き去る軒先に頭を下げた。
    町に住む人々は、過ぎ去る列車に見向きもしない。
    それは日常に起こる当たり前のことであり、またすぐに新しい
    列車が来ることを知っているからだ。
    私は少しの好奇心から、なぜ故郷に帰るのかを旅の青年に訪ねた」
旅人「それが……急なことで、あまりよくわからないのです。骨をうずめる
   とまでは言いませんが、私はあの町で暮らすつもりでした。住まいも
   構えて、結婚もするはずだった。それでも……それでも、故郷は私を
   呼んでいるのです」
語り部「列車はやがて、町を過ぎ、薄暗い森に入っていった。
    山沿いを走る列車はトンネルを避けて蛇行する。
    うす青い木漏れ日が、老人の顔をやわらかく照らしていた」
旅人「あっという間です。ひとつの町からひとつの町へ、渡り歩いては
   骨董品を買い集め、また別の町で売る。それだけが私の人生でした。
   それでも楽しかった。
   時代がかった細工物、洋行帰りのペーパーナイフ、印画紙に焼き付け
   られたどこの誰とも知れないサーカス団員達。私には何も作れない
   が、誰かの作った何かを運ぶのは、喜びだった」
語り部「低いうなりとともに、列車は次の駅についた。老人は寂しそうに
    駅名を見ると立ち上がり、小さくなった荷物を網棚から降ろした」
旅人「それでは、ごきげんよう。お先に失礼」
語り部「そう、にっこり笑って言うと、旅人は列車を降りた。
    ドアが閉まり、発車のベルが鳴る、列車はゆっくりとホームを
    離れていった」

□水辺の少女

語り部「みずうみのそばを列車は走る。どこまでも続く水面(みなも)に、
    中天にのぼった昼の陽が、きらきらと光を落としている。
    列車はすぐに、みずうみの駅に停まり、そして走り出した」
妹「あら、こんなところにいたの?」
語り部「桜色のワンピースを着た、10才くらいの少女が、はだしの脚を
    投げ出して、ちょこんと目の前の座席に座った」
妹「あら、迷惑だったかしら? でも仕方ないわね、ほかの座席は全部
  窓の雨戸を閉めているんですもの。この窓からじゃないときれいな
  景色を見られないわ。ほら、見て、あのみずうみを。あれが私たちの
  住んでいた村だったなんて、信じられる?」
語り部「少女は口早に、こちらが話しかける間などまるでないように、
    言葉をつなげて話した。私は口をあけてその言葉を聞いた」
妹「信じられないみたいね。それはそうよ、私だって信じられないわ、
  信じたくないわ、たとえ信じたとしてもそれはきっと信じこもうと
  努力した結果信じたような気がしているだけなのだわ」
語り部「私は、気になっていたことを口にした。
    こんなところにいたの、とは、どういう意味だろうか」
妹「だって私、ずっとあなたのことを探していたんだわ。どこか遠くに、
  勝手に行ってしまうんですもの。あなた私のお姉さまでしょう?」
語り部「少女の姿に見覚えはなく、私はずっと一人だった。もしかしたら
    生まれる前の妹かもしれない。
    そんなことを言うと彼女は満面の笑みで」
妹「きっとそうよ、あなた一人で先に生まれ変わってしまったんだわ。
  おかしいわね」
語り部「と、笑った」
妹「ねえ、おぼえてる? 私がおばあさまの入院していた病院にお見舞いに
  行ったとき、あなたは友達と遊びに行ってしまったの。おばあさまは
  私とあなたにお花のコサージュを作って待っていたのよ。私が渡すと
  言ったらおばあさまはあなたに手渡すのだと、そう言って、結局あなた
  はそれから一度も病院には行かなかったわね」
語り部「そのコサージュがどうなったのかを尋ねると、少女はまた笑って」
妹「おばあさまのお葬式の日に、あなたはコサージュを受け取ってなんとも
  言えない顔をしたわ。その時の顔ったら、私かわいそうで一緒に泣いて
  しまったの」
語り部「……やがて、列車は湖の端についた。
    駅のホームにはにこやかな人々がいて、みな、手を振っていた」
妹「わたし、ここで降りなきゃいけないんだわ。せっかく会えたのに、もう
  お別れだなんてさみしいわね。でもきっとまたすぐに会えるわ、私に
  とってはすぐだもの」
語り部「ドアが閉まり、発車のベルが鳴る。たくさんの人たちを残して、
    私をのせた列車は走り出す」

□夢の終わり、旅の始まり

語り部「それからも、たくさんの誰かが列車に乗っては、どこかの駅で降り
    ていった。ガラスの目をしたご婦人、赤い毛皮のおおかみ、いくつ
    もの羊を連れた羊飼い……思い出しているうちに、いつの間にか、
    日は暮れていた。
    窓辺にとまったひばりは腰をおちつけて目を閉じている。
    眠っているのか、休んでいるのか。
    それにしても列車はいっこうに進もうとしない。
    ひばりがふと目を開けて、私に語り掛けた」
ひばり「いつまでも動かないのは、どうしてだと思う?」
語り部「どうして、って、私に関係ある?」
ひばり「みんなこの列車に乗って、そして降りて行った。
    その間ずっと列車は動いてた」
語り部「だから?」
ひばり「君が降りたら動き出す」
語り部「どうして?」
ひばり「この列車に乗ってるのはもう、君だけだから」
語り部「……誰かが乗ってくるかもしれない」
ひばり「でも、いま降りるべきなのは君だ」
語り部「なぜ? 私にはなんの思い出もない。
    まだ何も、何も残せるものがない」
ひばり「だから、いつまでも動かない列車で、誰かが来るのを待ってるの?  
    それじゃあ、あんまり、寂しいじゃないか」
語り部「寂しい?」
ひばり「どんなことにも始まりがある。始まりの前は? 終わるんだ。
    始まる前が終わる。そしてまた新しい何かが始まる」
語り部「終わるのだって、寂しい」
ひばり「そうだね、でもいつまでもその場にとどまって、何も変わらずに
    いたら? それはきっと、もっと寂しいよ」
語り部「降りたあと、どこに行けばいいか、わからないの」
ひばり「誰もわからない。みんな好きなところに行くんだ」
語り部「こわくないの?」
ひばり「こわいよ、だけど、先に進めばきっと一人じゃない」

語り部「何から残そうか。生きてきた証を、私が生きてここにいたという
    証を残すには、何がふさわしいだろうか。たとえば色、命の証、
    血の色、髪の色、肌の色、そういった、光を反射する構造の
    すべてを、ここに残しておくことはできないだろうか」
ひばり「できるよ」
語り部「と、窓際にとまったひばりが、歌うようにささやいた。
    気が付けば、私は列車の窓際に座っている。背もたれを触ると
    柔らかい、ビロードの手触り。鉄の窓枠に、ニスを塗った木の壁。
    二つ並んだ座席が、向かい合わせに四つ。私は窓の外を見る。
    夜の青に染まった、さびれた石造りのホーム、その向こうには
    月明かりに照らされた草原が広がり、いくつかの木と、標識。
    遠くには星空に縁どられた、なだらかな山々が見える」
ひばり「走り出すよ」
語り部「列車はずいぶんと長い間、動いていない。ひばりは首をかしげて、
    進行方向を見る。私も合わせて窓の外を覗き込む。ホームの端で、
    駅員が、ぼんやりと信号機を眺めている。
    もしも信号の色が変われば、この列車は動き出す」
ひばり「ほら、変わった」
語り部「私は座席を蹴るように立ち上がり、ドアの外に出る。
    ホームの端で駅員が嬉しそうに旗を振っている。
    私の背後でドアが閉まる。発車のベルが鳴る。列車が動き出す。
    私は振り返らない。改札へ向けて歩き出す。
    駅を出たらどこに行こう。
    ぴぃ、と鳴いて、ひばりは夜の空に飛んでいった。
    空には大きな月と星が輝いている。
    あの月と星を目印に、歩き出してみよう」

おわり

二〇二二年六月二日

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