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切り株を食う話

「何を思うだろう」との問いかけに私も答えてみたくなりました。こちらの記事です。この記事の中で佐渡島さんは人の視点について考察されています。

この写真の切り株はみたところまだ新鮮。芽が出ているんだから生きてるわけです。不思議ですよね。いったい木のどこに生長点(細胞分裂をする1個の細胞。普通先端にある)があるのでしょう。あるいは、伐採されたことで先端となり、生長点が作られたのかも知れません。とにかく生きている。ではこれが成長して行くとどうなるのか。

これですね、このまま行くと横に出ている枝から新しく木の組織ができて、こっちが新しい木になるんです。どういうことかと言うと、今見ると切られた株が「主」で、新しい芽が「従」。けれど、切り株自体は成長しませんから「従」である芽がだんだん育って、そのうち「枝」になります。枝がさらに成長するとそれが、「細い木」になります。「細い木」が年々育っていくと年輪ができてきて「中くらいの木」になります。

さて、そこからどんどん成長していくとどうなるか。それまでは切り株の根が栄養を吸い、枝へ供給していたのが、枝が木になるにつれて自分の根を持つようになってきます。つまり「独立」してくるのです。

では切り株はどうなるのか。切り株は次第に枯れ、腐り始めます。役目が終わる、とでも言いましょうか。虫や微生物に分解され、新しく更新された木はそこから栄養を吸い、更に成長していきます。なんでそんなこと分かるんや、と言われたら、うちの玄関先のスモモの木もそうだったんです。枯れたと思っていたらかろうじて細い枝だけ生き残り、いつの間にかそちらが主な幹になっていました。今では枯れた主幹に虫が住み着き、キノコみたいなのが生え、新しい枝の不定根が食い込んでせっせと栄養を吸っています。まあね、確かに効率はいい。無駄にならない。けど、なんか親の死体を食べて生きてるような、そんな印象。

実は地面の上の「木質」部分が枯れても、栄養的には知れています。佐渡島さんの写真の切り株の直径はかなり太いので、もともとの木もかなり大きかったでしょう。根っこは大体その木の大きさと同じくらいの分量あるはずです。地面の下にはものすごい量の根が張っているのです。その根も上部が枯れると共に土中で微生物によって分解されて行き、新たな木に(もちろん周りの他の木にも)栄養を供給します。なんと理にかなったシステム。自然に無駄なことなんて何一つねえな、と思うしかありません。

それにしても、いったいどの時点で切り株が「よし、もう俺はいなくでも大丈夫」となるのか、もちろん頭で考えるわけじゃない。きっと何らかの信号が、どっかから出ているのか、それをなんかがキャッチするのか。いずれにしても、決まったタイミングで潔く退く。人間の場合、なかなかリタイアせずに「俺だってまだまだ負けてねーぞ!」という人もいる。いつまでも退かないから若い者も無責任に任せきりになり、次世代が育たない。いつまでも切り株が腐らずに無理やり若木に栄養を供給しようとしてたら、そら若木も頼り切りになる。まあそう考えたら、人なんて本当に自然界のバグやな。

いや、待てよ。

切り株自身から新しい芽が出ているから、これは次世代の新しい木ではなく、切り株そのもの、すなわちもとの木が再生しただけじゃないのか。細胞増殖だからある意味クローンなのか。私が勝手に世代交代なんて言ったけど、単に生まれ変わり?確かに生殖活動してないしな。ということは親を食べたんじゃなくて、自分自身を食べてるんやん!いやぁ、なんかちゃちな発想で「子が親を食べて成長する」俺の屍を越えていけ!的に思ったけど、そもそもの考えが人間的で宇宙的じゃなかったわ。

実は木は根っこで交信し合っているらしい。けど、根っこのことなんて知りようがない。もしかすると、山を切り崩している人とか、トンネル掘ってる人たちは、土の中のこと知ってそう。機会があればを聞いてみたい。まあ、私も死んで土葬されたら分かるかも。もし土葬されてそこそこ腐ってきたら「ちょっと聞いて!お墓の桜の木が私の栄養吸いに来てくすぐったいのよ!」とか「私をの横でモグラが子育てしてるの!」とか、絶対誰かに言いたくなるわ。あぁ、もしかするとお化けってそういうのなのかも。まあ、今は土葬じゃないから焼き場で熱かったとか聞かれされるのかな。ってことで…アラヤダ!最後お盆らしい投稿にまとまったじゃない。それじゃまたね!

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