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結婚に入学して

4年前、正式な離婚届を夫、息子と3人で役所で提出。離婚という言葉を使うのがイヤで私は、

「結婚を卒業した」

と、言った。

24歳で駆け落ちした時は、情熱的で向こう見ず、若かったせいで、世界は自分を中心に回っていると夢見るばかり。入学先にいたのは古参のお義母さん。そのお義母さんの家の一角で、絵ばかり描いて、家にお金を入れない夫に代わってワインバーを始めた。初めての経済活動は楽しかったけど、義母の事業の失敗で店を抵当に取られ、移転の憂き目に。そこから更にもう一店舗、他にも事業を展開して...という中で、起こって来る結婚という仕組みへの疑問。私たちの関係って、結婚していなくても続けられるんじゃないの?

そのことを夫と4年かけて話し合い、20年の結婚から卒業した。卒業と言うからには、そこに学びがなくてはならない。学校の場合、出席日数と、一定の成績。大学に入れば単位というものがある。学校へ行かなかったり、成績が低過ぎると、卒業させてもらえない。

そう思えば、結婚という場は大変な修行の場であり、学びの場である。中二病で白馬の王子様を求めていた世間知らずの私にとって、結婚は学びの多い、人間的にも成長できた期間であった。大体、予期しない酷いことが次々に起こる。ゲームで言うイベントというものだ。

「店に借金取りから電話がかかってきて、もう営業ができないようにしてやると言われた ⇒ 夫に相談 もしくは 電話線を抜いておく」

とか、

「夫が店の売上げを掴んでスナックに行こうとする ⇒ 泣いて引き止める あるいは 後ろからおしぼりを投げる」

とか、

「夫が自分の絵の売上げを持って祇園に遊びに行った ⇒ くやしいので自分も遊びに行く または くやしいので、このことをいつか書いてやると心に誓う」

とか、

「夫が自分の絵の売上げでオーダーメイドのスーツを作ったが、自分は1年以上1枚のパンティも買っていないし、ブラジャーは2つしかない ⇒ 店のスタッフが誕生日にブラジャーをプレゼントしてくれた」

今思えばネタの宝庫。いや、実にありがたい。色んなことが次から次へと起こるので、もう小説やゲームなんでしょぼくてしょうがない、とまで思ってしまう。それに、現実の対応スキルが確実に上がる。なんと結婚の素晴らしいことよ。

さて、卒業とは、終わりではなく、次へのスタート。離婚も同じで、今までの結婚生活で学んだことを次の人生で生かしてこそ、卒業と呼ぶことができる。私は「結婚を卒業した」。そう言えると思っているけど、あきらかにサボった末の中退なのに、卒業と言う人がいたりして、それって、一種の経歴詐称やん!と言いたくてしょうがない。ちゃんと単位取ってください。

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私も結婚を卒業したい、そう思っている人もいることでしょう。話し合いは精神的に疲れるし、互いの人間性に辟易したり、本当に消耗します。一緒に過ごした時間に比例して時が必要になると思ったほうがいいです。でも、入学するときは、その学校に入りたい!そう思って、大好きになって一緒になったのだから、一緒にいた時間を無駄だったと思うのは、本当に勿体ない。せっかくだからちゃんと卒業したい、そう思う気持ち、とても分かります。

それに、今の形の結婚って、もう時代的にちょっとアレかな、って思います。だって、男が外に出て、女は家を守る、という古い家督制度のシステムに基づいてるから無理があるにもほどがある。もっと男女の関係って自由でいいんじゃないの?結婚という支配から卒業すると、本当に自由になれる。妻や夫という立場以上に、男と女、人間と人間なんですもの。

ただ、自由過ぎて、法律的には人妻ほど守られてないし、税金高いし、独身だと社会的信頼度も低い。それに人妻のほうが市場価値がはるかに高いしモテる、というのは揺るぎなき事実。その結婚、本当に卒業したいですか?早まる前に、こういった現実は頭の隅に入れておいた方がいいかも知れません。

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