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年を取るほど叱ってくれる人が必要な話

ごきげんよう。今日は朝から田んぼの畦の草を刈りました。いよいよ夏!になって草も旺盛です。この後汗だくになったのは言うまでもありません。

ところで、大きい大人のみなさん、最近叱られたことありますか?

わたしはあります。40歳から三味線を始めて10年。当時、地元の経営者の集まりで出会った女性経営者から

「女は、仕事とは違うこと、何かひとつでもやらなきゃだめよ」

って、言われたのがキッカケです。私よりずいぶん先輩の経営者で、彼女の経験から言ってくれたのでしょう。なかなか真実味のある言葉でした。昔から書くことは好きでしたが、その時は大して書いてもいませんでした。で、始めたのが三味線です。

伊勢音頭というのがあって、漠然と「せっかく伊勢にいるんだからそういうのできたほうがいいですよね~」なんて、店の大家さんに言ったら、「そんなら私の知り合いが三味線を教えているよ」となって、その翌日に「先生に言っといたから」と電話があり、もう翌週には入門していました。

しばらく経って、ある日先生が言いました。

「Yukiちゃん、こういうお月謝っていうのは、クタクタのお札入れたらアカンのよ。新札とかせめてキレイなお札やないと」

めっちゃ普通のお札入れてました…。

またある時は、

「コラ!三味線跨いだらアカンやないか!」

すみません…ガサツな生まれなもので…。
お稽古の時は、

「あほ!そうやない!なんべん言うたら分かるんや」

ああ!間違えるところはいつも一緒…。

この年になって、叱られるというのはなかなか堪えるものがあります。とりわけ長女の私は事あるごとに威張って生きてきたものですから、叱られると凹む、と言うより恥ずかしい。けど、最近になって思うんですが、人って年を経るごとに自分が知ってることを人に教えたくはなるけど、反対に教えられることが極端に減ってくる。「知らない」ことをはっきり言えればいいけど「そんなことも知らないんだ」って思われるのが嫌で聞けなくなる。知ってるふりをする、あるいは知らない物事から遠ざかる。

年配の人が過去の自慢話や懐かし話をして、今現在が語れないのは、彼らには教えてくれる人がいない、叱ってくれる人がいないからなんじゃないかと思ったんです。実際、彼ら自身はもう学ぶ必要はなく、「自分は人間として完成している」と思ってるのかも知れませんが。

分からないこと、適切でないことを指摘して教えてくれる人

がなぜ必要かと言うと、自分をアップロードできるからです。停滞してるところから引っ張り出してくれる。私は人間は死ぬまで完成しないと思ってるので、常にフレッシュなほうがいい。それに、人に教えるってすごいエネルギーいるじゃないですか。私が習っているのはたまたま伝統芸能だけど、叱ったり教えたりするのにはエネルギーをかなり使います。だからこそ、そんなことにエネルギーを使ってくれる人が周りにいるなんて、断然ありがたいことです。大事にしなきゃなんです。

伝統芸能に限らず、なんでもいいんです。年上でも、年下でもいいんです。けど、それが仕事の人だと色々と大人の都合があるし、こっちも意地があったりする。だから

仕事以外の関係

で、そういう人がいるのがすごいいいんです。もちろん、仕事でもいいのかもだけど、やっぱ私の場合はライバル意識があったりで、素直に受け取れなくて反発しちゃうかも。そういう意味では今のお師匠さんがいいと思います。もちろん配偶者とかパートナーなら断然言うことないでしょう。映画で言うと、「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公と革職人のおじいちゃんみたいな関係もいい。80歳になったとき、10代の女の子に「Yukiちゃん、そんなんじゃダメよ」って言われたいなぁ。

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