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「背中を丸めたおばさん」と言われて考えたこと

ホームセンター大好きっこの私がオゼキくんに会ったのは、田植え機の爪を磨く紙やすりを探して、棚の間をキョロキョロ歩いているときだった。

「あ!オゼキくん」

同じ町内のオゼキくんは、ひょろっと背が高く、どっちかと言うとホームセンターよりも本屋やコーヒーショップなんかのほうが似合う人だ。少しうねりのある髪にメガネは丸い銀ぶち。どことなく枯れた印象なのはドライなもの言いと、かすれた声に依るものだろう。ギムナジウムの寄宿舎の寮監のようなオゼキくんは私を見て言った。

「背中丸めて…、どこのおばさんかと思った」

え?なんですって!この私が?数年前までは「バレエとかやってるんですか?」とか「すごい姿勢いいですよね!」とか言われてた私が?背中を丸めてるですって!!!私は冷水を浴びせられたように固まった。言われてみればそうかも…しばらく鏡とか見てないわ。今日もその辺にあるシャツをひっかけ、泥のついたズボンに長靴姿。やにわに、私は腰を立て、ぎゅっと背中を引き絞り胸を張った。オゼキくんにはどう反応したのか覚えていない。口では「紙やすり、紙やすり…」とぶつぶつ言っていたが、頭の中では、「背中の丸い」「腰の曲がった」「おばあさん」という言葉がスカッシュボールみたいにこだましていた。

しばらくして「ずいぶんひどいことを面と向かって言うじゃないか」と、オゼキくんに対してじわじわと怒りが込み上げてきた。自分だって左遷されたくせに。彼女に男ができて逃げられたくせに。趣味で買ったバカ高い自転車盗まれたくせに。開口一番、あんなことを私に言うなんて何様だよ。けど、考えてみれば人前に出ることはずいぶんと減っている。勤めを辞めて農業に精を出し始めて以来、人目を気にして自分を見せることはあえて遠ざけていた。そもそも、百姓の世界は男世界だ。女らしく見せる必要もないし、むしろ女を前面に押し出せば、畑や田んぼに出ている男衆の奥さま方から反感を買うこと必須。男らしくする必要はないにしても、無味無臭無色透明な方が色々と都合がいい。

そうやって、百姓社会に順応してきたって言うのに、順応しすぎて腰まで曲がったらしい。まあ待て。まだ悲観するには早い。こういうときにはあれがやってくる。あれだ。そう、私に女を思い出させるアレ。恋というやつだ。しばらく放置してあった恋の上にはすっかりホコリやチリが厚く積もり、ちょっと火花が散っただけでボウと燃えてしまう。まあ、相手は生身の人間とばかりとは限らないけど、これはそろそろ私の中にある何か燃える少し手前の兆候だ。そんなこと若いころは分からなかった。けど、何度かそういうことがあって、分析を続けてきた結果、こういったタイミングで恋が発生しやすいことが分かっている。どうもそうやって強制的に何かをリセットさせるようだ。近いうちに私自身の身の上に何かが起こる予感が高まる。だが待て、まだ何も起こってない。だからそのことについて考えるのは後だ。むしろ積もったホコリをさっさと掃除しよう。

今考えるべきは、果たして腰が曲がるというのは老化なのか。ということだ。確かに、土と言うものは足元にあるものだから、耕したり、種をまいたり、植えたり、収穫したり。なんだって地面に向かって行うことになる。じゃあ、寝そべってやれるかと言えば、それでは力が出ない。そりゃそうだろう。寝てできる仕事なんて車の整備くらいだ。しかもあれはあお向けだ。だから、やっぱり腰を曲げての仕事になる。それが百姓をする場合に最適な姿勢なわけ。周りを見ても、とにかく百姓のばあさんは腰が曲がっている。平たい顔族と同じように、腰の曲がった族もいるわけだ。百姓をしていても自分だけはそうならない、なんて理由はない。百姓をしていればあなたも腰が曲がるわよ。と、言われたことがある。

しかし、考えてみれば長年百姓をやって腰が曲がってくる。つまり、地面に近づいていくということは、仕事をするための最適化なのではないか。老化なのではなく、むしろこれは「進化」なのではないか。だが人間の寿命はせいぜい80年だから、その進化の成果が発揮されるまえに寿命が来て死んでしまう。もし、人間の寿命が200才くらいだったら、進化したスーパー百姓が誕生するのではないか。百姓に限らずあらゆる仕事で最適化した体格の持ち主が現れるかも知れない。寿命200才が実現すれば、人類の体格はかなりバラエティに富むことが予想される。

けれど、今は腰が曲がってくることは一種の骨の病気になっている。深刻な場合も多い。ネットで調べたら進化どころの話ではなく相当大変そうだ。まあつまりはまったく進化未満なのだ。さて、これくらいの考えになってきたとき、私はむしろオゼキくんに感謝していた。腰が曲がることが進化ではないかという考察、私に変化が訪れるかもしれないという予感。以来、やたらと姿勢を気にするようになったこと。それから、自分がもうおばさんでも平気みたいに気取ってたけど、ホントのとこ、まだまだこういうことを気にするんだ、って分かった。分かってなんか笑えて来たんだ。ありがとう、オゼキくん。あの日、ホームセンターでオゼキくんに言われなかったら、私、あの時の私のままだったわ。こんどオゼキくんに会ったらお米でもあげよう。まあしばらく会わないだろうから、つぎ会った時にはもう忘れてるだろうけど。

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