見出し画像

私の鶏、私の鶏肉、私の鶏料理(6)

ここまで読んでいただいたみなさまは、私が自給自足っぽいことをやってるなーとお思いになったのではないでしょうか。いいえ、全然違います。私が初めて自分の手で鶏をしめたとき、私の心の中は憎しみでいっぱいでした。私を苦しめた鶏に対する憎しみで。私は鶏をしめたのではなく、鶏を殺したのです。

さて、今回の全肉をもう一度ご覧いただきましょう。

画像1

そして、この肉の元となる鶏がこちら。一番左の個体です。

家畜には牛、豚、山羊などありますが、この鶏というのはおそらく意思疎通がもっとも困難です。彼は朝5時から、この動画のような間隔で鳴き始め、30分は鳴き続けます。1分に3~7回くらい鳴きます。多少休憩したとしても30分の間に60回~100回は鳴く。一番集中して鳴くのは朝方だけど、朝に限らず日中いつでも鳴きます。5時に鳴くし、7時にも8時にも鳴く。12時にも鳴くし、14時にも鳴くのです。それが神社にも聞こえるわ、私が駅で電車を待っている間にも聞こえてくる。近所の人は

「いやー、鶏の声なんて懐かしいわ」

なんて、言ってくれてるけど、そのうち

「Yukiちゃんとこの鶏、たいがいやかましいな」

となるのは時間の問題。それ以前に、もっとも鶏小屋に近いところで寝ていた私の睡眠が著しく妨げられる日々。一般的に鳥の鳴き声というのはアプリにもなっているくらいですから、こころを安静にさせる効果があるわけですよ。しかしこの雄鶏の鳴き声というのはですね、人をイライラさせる何かがある。

・まだ暗いうちから
・テノールボイスで
・「オレ一番!オレ大好き!オレ最高!」と
・外で
・30分間に100回
・叫ぶ人がいたら

通報しませんか?しかも毎日ですよ。私ならしますね、これはね、人間なら完全に通報案件ですよ。人間じゃなくて鶏だとしても、これはノイローゼになります。こいつ私を呪っているのかな、と思うようになり、精神が病みます、本当に。

実際、ネットで調べてみると、鶏のオスの鳴き声については沢山の記事があり、

・四六時中鳴く。
・早いと夜2時から鳴く。
・1羽が鳴くと同時多発的に他の鶏も鳴きだす。
・市街地では著しく近所迷惑になる。
これに対する解決案は雄鶏を飼わないことだけ。
・鳴き声が原因で殺人事件に発展した例もある。

いやー、これ読んだときね、殺されると思いましたね、私も。父が同じ敷地内に住んでいるのでうるさくないか聞いてみたところ「そうか?」と、お向かいさんも「私も4時には起きてラジオ聞いてるし~全然大丈夫よ~」と言ってくださいましたよ。しかし、そんなのは交辞令かも知れません。

「あそこの鶏うるさいし、飼い主もどうもするつもりもないようだからもう殺すしかねえ」って…。いやね、鶏を殺せば食べることもできるし、犯罪になったとしても知れてますよ。なのに、殺しても食えない、犯罪者として刑務所行きになる「人殺し」なんて…鶏が原因と言えいくらなんでも…なんて思うかも知れません。いいえ、私は分かります。あの鶏の鳴き声を放置していた人間が憎くなってくる・・・・・・・・・・のですよ。鶏を飛び越えて飼い主に行くのですよ。それだけこの鶏のけたたましい鳴き声は人の心を徐々に蝕み、狂わせるのです。

では、飼い主の自分はどうかと言うと、朝から鳴きだす鶏が徐々に憎くなってきました。考えても見てください。肉を得るために鶏をしめるという行為は純粋に食料確保の目的であることが健全です。誰も牛が憎くて牛肉を生産しているわけじゃないし、豚を殺したいくらい嫌いだから豚肉を作っているのではありませんね。みなさんとても愛情持って育てているのは周知の事実。

しかし、私は違いました。毎朝私を苦しめているあの鶏をなんとか黙らせたい。その一心でした。ですから、私が鶏をしめたのは、いよいよ「もうお前の鳴き声にはがまんならん!」と針が振り切った時の行為であったのです。

つまりそれは平常心で鶏をしめたのではなく、あまりにも憎くてしめたわけですから、ある意味殺人、いや殺鶏さつけいであり、前夜からも準備をしていたことからあきらかに計画的殺鶏で、罪としては非常に重いわけです。

しかし、幸い殺して終わり。ではなく、その先があります。殺して、羽をむしればあら不思議!お肉になるのですよ。ですから、私の殺意などは次第に薄まって行きました。しかし、あとになって考えてみると。この「憎む」という心が発展すると戦争になるのだなと。相手を憎むことさえできれば人って殺せるのか、などと考えました。

そもそも戦争の始まりってそういうことがあります。自分たちが報われないのはユダヤ人があこぎな商売をして儲けまくっているからだ。自分たちが苦しい生活を強いられているのは別の部族の人間が実権を握っているせいだ。そうやって自分や家族の苦しみを誰かのせいにしたとき、その誰かを倒すことが正義になる。それが事実ではないとしても、そんな風に誘導して相手を憎ませることに成功すれば、人が人を殺せるように操作できるのかも知れません。実際、私が鶏を吊るして首を切った時の、あの奇妙な全能感と言いましょうか。私が裁いてやった、みたいな感覚。

ああ、敵を殺すとかこんな感じか…って。いや鶏なんやけど。ですから、これはまったく健全ではない。鶏をしめて戦争に思いを馳せるとは思いませんでしたが。しかし、今は殺したいほど鶏を憎く思わない(あんまりうるさく鳴かない)ので、残りの3羽をなかなかしめることができません。やっぱり生き物を殺すってまあまあエネルギーがいるのです。次回こそ健全に、平常心で鶏をしめたいものです。

この記事が参加している募集

SDGsへの向き合い方

サポートありがとうございます!旅の資金にします。地元のお菓子を買って電車の中で食べている写真をTwitterにあげていたら、それがいただいたサポートで買ったものです!重ねてありがとうございます。