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エディンバラ暮らし|旅するように生活する


ひとり時間の記録と、生活について思うこと。



ごはん

オーブン焼くだけ料理
果物が安くて嬉しい
パイクレットという、
クランペットよりも薄い穴ボコ炭水化物
バターはちょっと良いものを買ってQOLをあげるのだ
テスコのレーズン入りスコーンが美味だった
ベリーlove。
赤いのはグースベリー(ヨーロッパスグリ)
グリンピースとフェタのスープ
缶詰そのまま。雑だ
基本的に雑だ
お金のことで悩み夫に電話したら
「ポテチ食べてビール飲んじゃいな!」
カレーをよく作った。
酸味のあるカレーとパクチーは相性よかった
カレーに、畑でもらった何かを添えて
フラットメイトは私にお花の世話を託して
イングランドに帰省した
トーストばかり食べている。
素朴で薄っぺらい、好きなパン


散歩

一時期40分かけて街の図書館まで歩き、
生物の分厚い本の鳥の章を読むのにはまっていた
小さな鉢植えに目を奪われた
ねこちゃん
Blue Tit
鳥はどこにでもいる
羊たち
くまちゃん
チェーン店でこれが出てきたら嬉しい
ラテアートをよくわかっていなかったけど
こんな手の込んだものが提供されると
「ゆっくり楽しんでね」
と言われてるような気分になるんだと知った
ボランティアの電話面談が終わった日の祝酒✨
ハーフパイントはラテよりも安い




例えば1年間、何でも自由に行動して良いと言われたら何をするだろう?
お金は割と好きに使えるものとする。


未知なる冒険、贅沢な体験、会いたかった人に会いに行くこと、新しい学習、

いろんな選択肢がある中で、
私がまず一番やりたかったのは「生活」だった。

エディンバラで過ごした期間は、場所が海外というだけで、やっていることは普通の生活だった。
それは壮大な外篭りのようなものだった。

多くの時間を一人で過ごし、スーパーの食材を料理して食べ、部屋を整え、勉強し、散歩し、絵を描き、図書館で本を読む。地域の人の存在が近くにあって、たまに会話する。家族と電話する。


生活。
平凡な響きだ。

もしかしたら、生活とは取り上げるほどのものではなくて、人生において「価値ある体験」と「価値ある体験」の間のつなぎで、効率化の対象。やることが多すぎる今、そんな考え方もあるのかもしれない。


自分のこと。
幼い頃から「特別なことをしなきゃ」と貪欲だったし、高校生のときノブリスオブリージという言葉に出会ってからは特に(高校が自前で制作している英語テキストの題名になっていた)、自然と重たい課題を選びまくってきた。偉い…というか、えらいこっちゃ。

今思うとグローバリゼーションの理想的な市民だ。その代わり、生活はわりとおろそかだった。
だから料理がいまだにあの有り様なのだ。言い訳。


でもそうして生きてきた末の一昨年、ふと我に返った。
どんなに刺激的で有意義そうな機会が溢れていても、人は食べなきゃいけないし寝なきゃいけない。家族との時間も大事だし、ローカルの人との他愛ないやりとりも、私には必要だった。

人生とは生活の積み重ねだ。
ほとんどの時間はただの生活なのだ。
日々を効率的に回そうとするのは、すなわち人生を効率化しようとすることだった。

フラットメイトに「一旦試してみたら?」と、
ニヤニヤしながら勧められた炭酸飲料、イアンブルー


寝具メーカーが「人生の1/3は睡眠ですよ」と高級マットレスを薦めるように、人生のうちの大半を占める「ふつうの生活」の価値を見直すことは、きっと思っているよりも切実に重要。世の中に大切なことはたくさんあるけれど、ノブリスオブリージを思うのならばまずは目の前の自分の1日を満たしたい。


それはきっと一筋縄ではいかない。
なぜなら退屈の罠や外部の刺激的な誘惑や努力家で優秀な隣人たちがいる世界で、なによりもまず自分が健やかでいられる価値観を考え続けないといけない。えらいこっちゃ。

そういう視点に立つと、生活とはただ過ぎていく受動的な時間の流れではなく、能動的にいくらでも開拓できる豊穣の地なのかもしれない。
ごはんも、散歩も、適当にそそくさとこなすこともできるし、逆にどこまでも冒険できるのだ。


「暮らすように旅をする」という言葉がある。
むしろ、「旅するように暮らしていく」みたいなスタンスで生きても、面白いのでは。

こんなことを考えながらトーストを齧っていた?ちがう。トースト齧るときはいつも頭の中からっぽ

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