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“障害”っていう言葉について

私の職場は、障害者相談支援センターなのですが。
この、名称に「障害」とあるせいで、相談できない・したくない、という方が一定数いらっしゃいます。

障害福祉サービスも、やっぱり「障害」って名前が入っていると、嫌だという声は一定数お聞きします。


なんかこう、「障害者」ではなくて、「日常的にちょっと配慮してくれたらいいなぁ者」っていう(我ながらひどいネーミングセンスだ)、いい感じの日本語はなかろうか。



以下、障害の中でも主に精神・発達障害に関することになってくるので、そこをご承知おきの上お読みいただきたいのですが。


たとえば障害福祉サービスを利用するって時には、自治体にもよるけど私の働くA市なんかでは、多くの場合、主治医の診断書が必要。
それは、新規患者としてぽっと行ったらぱっと出てくるものではなくて、ある程度継続して通院していないとなかなかもらえない。
というかそもそも、精神障害の場合、受け入れてくれるサービス事業所さんが対象者の要件として、「通院・服薬が安定していること」を挙げている場合もある。
つまり障害福祉サービスと医療は、切っても切れない密接な関係があるわけです。

なんなら、これも自治体や事業所によるけど、中には障害者手帳がないとサービス受けられないって場合もある。この手帳も、取得には医療的な診断書が必要なのです。

医者にかかる、薬を飲む、というのはどうも、自分は病気だ、ということを否応なしに意識させられるものだと思うので、通院自体がストレスで体調崩す、みたいな方もいらっしゃいます。
一方でもちろん現代医学において、服薬が有効なことはあるのだから、私は一概に医療を否定しているわけではありません。
ただ、通院する・服薬する、ということの精神的負担は少なからずあるだろうなぁ、それを人によっては何十年も、よく継続されてきたなぁ、と。私は精神障害者の方々と向き合うとき、そこへの敬意をまず忘れないようにしています。


ところで障害福祉サービスというのは行政のサービスなので、誰でも受けられるわけではなく、そのサービスを受けるに足る理由がないといけません。
それは「この人にはこういう支援が必要です」という言い方で表されるのだけれど、ときに「一人ではこれができない、あれもできない」と本人の自己肯定感を下げるような言い方をされることもあって、なんだかなぁと思います。
私や先輩は、「できない」ではなく「難しい」「助けがあったほうが安心」といった言い換えをしておりますが、これもまぁなんだか、業界では使い古されすぎているので言われる側としてはどうなんでしょうかね。


この社会には、殴る蹴るの暴力だってあるけど、それ以上に言葉の暴力というものもはびこっていて。
支援者側は無意識であろうと、勇気を出して相談に来てくれた相手に対して、言葉の刃を向けてしまっていることも往々にしてあり得る。

そんなこと、あっちゃいけない、って強く思うから。

日々日々、せめて自分の口から出る言葉には敏感でありたいなぁ、と思う次第です。

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