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Rambling Noise Vol.61 「メルマガナイトへGo ahead! その47」

ここは性格を競う、いやそうじゃなくって、正確を期することにしようではないか。

では、池上遼一がこれまで変化に乏しい作家であったのかと言えば、決してそんなこたぁない。デビューの時分、1960年代後半から彼の絵は絶えず成長し続けてきた。
ほぼ時期を同じくして長期連載となった『I・餓男(アイウエオボーイ)(1973〜1977年)』や『男組(1974〜1979年)』などは、絵柄の変化の様が凄まじいほど良く判る。初めと最後を見比べたら、全くの別人が描いたといっても通じるのじゃなかろうか。

そんな池上遼一も、1980年代に入った頃には、ようやく或る一定の画風に落ち着く。誰がどう観ても、「ああ、この人の絵ね」というベースが固まっていた。

しかし、だからと言ってカッチンコッチンのガッタガタになったと思われては困る。

画風は定まっても尚、池上遼一はどんどんと画力が増していったし、微妙〜に進化を遂げていっている。作品を年代毎に横並びにしてみれば一目瞭然に違いない。
はてさて、そんないい感じに発展していった池上遼一に対して、何故今更アサノさんは腰が抜けそうになる程、『トリリオンゲーム』から、びっくらぽんと衝撃を受けたのでしょう?

それはね。
成長、進化が著しいとは言っても、池上遼一のグラウンド、つまりまぁその、彼が表現してきた場というのは、飽くまでも「劇画」の世界観の内であり続けた、ということだ。
長いキャリアだからこその方法論には、どうしてもマンネリに感じられる部分も生じてくるものだ。
「ああ、そうだよね」、と言う。レイアウトなどに於いては特にやはりそれなりに。

で、『トリリオンゲーム』。
これがまたああたってば、それまでの池上遼一の表現手法を全くもって逸脱していた。
「なにこれ? いや待って、全然劇画じゃないもんねー!」
アサノさんの頭の中にあった池上遼一の世界が瓦解した瞬間のご到来。はい、おいでませ、山口へ。

「どどどどどど、どうしちゃったんだろう、これって」

と、思った反面、これはスゴイことだと! もの凄いエポックメイキングな出来事を目にしているのだと! び、ビビった。

たまには故事に倣ってみてみるか。
こういう時にはこう言っておきましょう。
NHK大河ドラマ『天地人』で、直江兼続が散々多用したお陰で、取り敢えず言っておけば、なんとはなしに納得が出来てしまう便利な言葉として一時流行ったアレ。

「これはしたり」

(続く)

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