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古代史随想(5)

 いらしてくださって、ありがとうございます。

 今年最初の古代史随想の記事です。
 こちらでは「古代を舞台にした小説を書くため」諸資料を読みつつ、気になったことを備忘録的に綴っております。
 ゆるりとお付き合いくださいますとうれしいです<(_ _)>

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 古代の色彩の「アカ」色について、『古代の朱』(松田壽男:ちくま学芸文庫)では、「朱」という最古の甲骨文字の形象から、その色味を「牛を胴切りにして吹きだす血の色」と紹介しています。

 同書によれば、古代日本で使われたアカ色には、純粋なアカ色の「朱(水銀系)」、やや黒ずんで紫色に近い「ベンガラ(鉄系)」、時代が下って天平時代ころの黄色味の強いアカ「鉛丹・黄丹(鉛系)」などがあったといいます。また、弥生末期の各地の遺構から、ベニバナの花粉も出土していますので、古代の人はさまざまな赤色を知っていたようです。

 ちなみに、日本書紀のスサノオとアマテラスとの誓約うけいの場面では、スサノオが「邪心ある心」のことを「黒い心」と表現し、アマテラスは「清く明るい(正しい)心」を「赤い心」という言葉で語っています。
 
 古代人にとって「赤」とは、正邪でいえば正をあらわす意味でもあったようで、日本書紀の後段に登場する黒媛などの名称にはやはり、編集者の悪意が込められていたのかも、などと思ったり……と、話が逸れてしまいました。

 松田壽男氏は、自ら水銀採掘の坑道に入り、岩壁に表出する辰砂の鮮やかな色を目の当たりにし、「この世のものとは思われない赤」「牛肉の切り身さながら」「深みと潤いとに輝く」などと形容しています。

 縄文時代から土器や土偶に朱を塗り、弥生時代の木工品にも朱が塗られ、古墳時代には石室や石棺に朱を塗ったり、棺のなかに朱砂を敷き詰めたりと、この国では古来から、さまざまに朱を利用してきましたが、『朱に魅せられた弥生人 若杉山辰砂採掘遺跡』(西本和哉:新泉社)という書籍には、辰砂の原石や、辰砂がすりつぶされ粒子が細かくなるにつれ赤の色が鮮やかになっていく変化をとらえた画像が収録されており、それを眺めていて、気づいたことがありました。

 すこし寄り道をしますが、記紀神話に登場するイザナキ・イザナミの夫婦神は、日本の国土を創生した後、カグツチという火の神を産みますが、身を焼かれたためイザナミは亡くなります。
 夫神であるイザナキは深く悲しみ、たった一人の子のために妻を喪ったことが耐え難く、ついにカグツチ神を斬り捨ててしまいました。
 
 カグツチ神を斬った剣からしたたる血が、天の安河のほとりにある岩群となり、それがフツヌシ神の先祖となった、と日本書紀は語ります。
 カグツチ神の血が降りかかって生まれた神にはほかに、ミカハヤヒ(タケミカヅチの先祖)、磐裂イワサク神、磐筒男イワツツノオなどもあられます。

 このフツヌシという神は、フツという音が「剣で断ち切る音」をあらわすため刀剣の威力を神格化したとか、神武東征でタケミカヅチが与えた『布都御魂フツノミタマ』という霊剣の神格化である、あるいは物部氏の祭神である、などなど、その性格についてさまざまな説があります。

 でも私は、辰砂の原石の色が「人の血の色」に見えることから、フツヌシは水銀(辰砂)の神である、と思ったのでした。

 日本書紀の記述でフツヌシと同時に誕生した磐裂神とは、そのまま「割れた岩の壁に現れた水銀鉱脈」でしょうし、磐筒男命とは「水銀を掘る竪坑・坑道」を示している、と。

 水銀の地表への発露の仕方と採掘方法で、それぞれ磐裂、磐筒というわかりやすいネーミングをしたのに対して、最初に誕生した「フツヌシ」は、何を意味しているのかが判然としません。

 古代の水銀の神といえば、丹生都比売にうつひめですが、この御名の読みには「ニフツヒメ」もあり、「フツ」が含まれています。
 文字と音からすれば、丹を産む(ツは「の」という接続詞)姫で、フツに意味を求めるのは邪道だとは思うのですけれど、実はそこにこだわりたい点があるのです。

 フツヌシとは、ジョフツという人物を示すのでは、と想像するからです。

 徐福ジョフク伝説、ご存じの方もおいででしょう。
 秦の始皇帝の時代、不老長生の薬を求めて日本へ渡ったという伝説の人、徐福。この徐福の名は、ジョフクではなく、本来は「徐フツ」と記されるもの。
 フツという漢字は、漢字の一の下に巾をつけたもので、「市」の頭の点がない文字です。
 
 徐福が、『始皇帝に「不老長寿の薬」を探すよう命じられ、船に若い男女三千人と五穀の種、多くの技術者らを乗せ「東方」へ旅立ったものの、平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかった』という話は、古代中国の『史書』に記されてはいますが、あくまで伝説扱い。
 ただ、日本の各地に「徐福がやってきた」という伝承地は多いのです。

 フツヌシという神は、千葉の香取神宮に祀られていて、常陸国風土記に登場する普都ふつ大神」とも同一視されるともあり、かつて関東に一大勢力を持っていた「実在の人物」が、フツヌシという名で呼ばれていたのではないか。
 ならば千葉県に徐福伝説は……というと、残念ながら有名なものは見当たりませんでした。佐賀や熊野、京都の伊根などのような、はっきりとした伝承はないようです。

 ただ、千葉県に匝瑳そうさ市という地名がありまして。この「匝」の字、意味は「めぐる、めぐらす、あまねし、ひとそろい」などがありますが、異体字がジョフツの「フツ」の字なのです。
 ここから、徐福(ジョフツ)との関連が遠い古代、千葉にもあった可能性を「物語のタネ」として夢見たいところなのですけれど。
 匝瑳市の観光ホームページには「さふさ、という地名が先にあり、文字は後からあてたものでは」とあり……残念ながらフツとの縁は見つけられず。

 ですが、日本書紀を読むに、イザナキ・イザナミが生んだ神カグツチの血から生まれたフツヌシは、イザナキ・イザナミ両神の直系ともいえる位置づけだと思うのです。
 そして、さきのニフツヒメも、丹生都比売神社に伝わる祝詞によれば「イザナキ・イザナミの子」とされているようで、この国の、地上(実在)の神々の、最も原初の位置にフツヌシとニフツヒメがあるように思え、だからこそ、媛の御名にある「フツ」という言葉が気になるのでした。

 そして、イザナキが生んだ原初の神といえば、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三神もおられるわけで、ツクヨミとスサノヲとは同一の性格とも思えることから(本当は男女二神のところを三という神聖な数字にするため無理にもう一神を加えたという説もあり)、もしかしたら、アマテラスとスサノオ(またはツクヨミ)は、ニフツヒメとフツヌシの転写かもしれない、などと想像するのです。

 さて、徐福が求めた不老長寿の薬は「水銀(辰砂・朱砂)」であったという説があり、古代日本は各地で水銀が採掘できたことから、この国の豊かな水銀をもとめてやってきて、霊山・富士山(徐福が目指したとされる蓬莱山)を眺めることのできる地に都をつくり王となった「渡来の一団」があった可能性は高いのでは、と思うのです。

 関東は、縄文時代からそれなりに大きな集落があった土地でもあり。ご近所には中里貝塚という「幅40メートル、長さ1キロ、4.5メートルもの厚さ」で堆積する縄文期の貝殻層が出土し、周辺集落では消費しきれない量の貝を蒸して加工した跡も見つかっています。
 人々の暮らしがたしかにあった土地にのぞむ東京湾は、波しずかな良港でもあったでしょう。
 
 紀元前200年前後、多くの技術者や五穀の種とともに大陸を出発した渡来の一団は、九州から日本海側、太平洋岸の熊野などに痕跡をのこしつつ、千葉の利根川を遡り、霞ケ浦の奥まった土浦あたりに上陸。
 平野を縦横に走る水路をたどり、都をさだめ、稲作とともに携えてきた技術を広め、朱砂を採掘し、縄文時代からあった水上交通のネットワークを利用して交易をすすめ、豊かな国をつくった……日本書紀にほんの一瞬だけ登場する日高見国という、関東に存在したかもしれない王国のことなども気になり、それにしては、そこに存在したはずの人物の痕跡が記紀に見当たらない不思議を思いつつ、床に就いた夜のことでした。

『スサノオは朱砂の王だから』

 という言葉が聞こえて飛び起きました。そうか、スサノオか~! と。

 戸矢学氏の『古事記はなぜ富士を記述しなかったのか 藤原氏の禁忌タブー』(河出書房新社)という著作では、「スサノヲは徐福であると単純に言い切ることはできませんが、(スサノヲ神話の)後半の大きな部分がオーバーラップする」としています。

 石上神宮の祭神・布都御魂ふつのみたまの大神とは、韴霊剣ふつのみたまのつるぎであって、先代旧事本紀には、布都御魂はフツヌシ神の御魂である、と記されてもいて。
 (韴霊剣のの字の右側にもジョフツの「フツ」が含まれています)

 戸矢氏は、フツノミタマとはジョフツの御霊であるとし、古代、富士山を祖山とする関東の地に古代国家を建設し、ヤマト朝廷に国譲りをおこなった大王を「徐福(ジョフツ)とその子孫」と結論しておられました。
 その徐福の功績は、スサノヲが地上に降りてから国づくりをした伝説として残されている、と。

(ちなみに戸矢氏は、関東の古代王都のあった場所について、方士(徐福も方士)がおこなっていた地理風水の天心十字法(国の宮殿を建設する際の位置決めをする方法)により、浅間山と千葉県の冬至の日の出の方向とを結ぶラインと、筑波山と富士山を結ぶラインの交点である埼玉市大宮区「氷川神社」周辺である、と考えておられます)

 古代の、当時の日本にはまだなかった高度な技術と知識を携えてやってきた渡来の一団は、それまで自然界の八百万の精霊に神性を見出していた人々にとって、初めての「人としての姿をもった神」だったと想像します。 
 
 朱の色は、血液の色。
 血が流れ出てしまえば命が失われることを、原初から人は知っていた。
 その血とおなじ色の朱砂が露頭に現出したもの、あるいは川に流れ出てきた赤い砂を拾い集め、人々は土器などの彩色に使い、霊性を共有していた。

 そこに水銀鉱脈を探す方法と採掘法を熟知した渡来の人々がやってきて、より大量の朱を入手できるようになり、さらには朱を大量に使えば遺骸の腐敗を遅らせることなども教えられ、朱の薬効も知るに至り。

 彼らにそうした知識を授けられたこのクニの人々は、渡来の一団を「神とその一族」と崇め、フツ様、フツの長、フツヌシと呼び……けれどのちの記紀編纂の時代には、ヤマト以外に発展していた土地があったこと、関東に「富士を崇めるまつろわぬ王国」があったと認めるわけにいかず、その王たちの名も、富士山のこともすべて伏せ、わずかに神話のなかにスサノオとして、また、その子孫の国譲りをも、「あえてファンタジック」にして書き残した、と。

 つらつらとまとまりなく書いてまいりましたが、古代にご興味ない方にはまったく意味のわからない話ですみません。でも個人的にはもう、ワクワクして仕方ないのですよ。荒唐無稽な妄想ではありますが、物語がいくつも浮かんで、いまプロットを何本もまとめているところなのです。

 ニフツヒメについては、梨木香歩さんの「丹生都比売」(梨木香歩作品集・新潮社)という古代を舞台にした名作がありますが、私にはおなじ時代を舞台に、登場人物もかぶってしまうのですが、まったく別の物語が浮かんでいたりします。自分なりの古代の物語、寿命が尽きる前に形にしていきたいと思っています。



 ★ 匝瑳市観光協会による匝瑳という名前の由来はこちらに↓


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 今回もさまざま妄想を書き連ねた記事となりましたが、この古代史随想記事は議論のためではなく、シロウトの古代史好きが小説の素材としての考察をつづったものです。そのようにご理解のうえ読み流していただけましたなら幸いです。
 また、コメント欄にて、記事にかぶせた政治・特定の人や団体などについてのご意見などはご遠慮くださいますようお願いいたしますね。

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 二月ももう半ば、体調がぐだぐだしているうちに日はどんどん過ぎていき、今度は花粉も飛び始め……。
 みなさまもどうぞご自愛くださいませね。

 今日もみなさまに佳き日となりますように(´ー`)ノ

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