アラブとイスラエル サルトルのインタビュー

イスラエルとアラブは100年前からの確執である。イスラエル建国と表明されるまではユダヤとアラブは仲良くしていたとNHKのバタフライエフェクトで述べていた。
 その問題に反応していた知識人であるサルトルはどのように捉えていただろうか。日本思想界がサルトルはレヴィ=ストロースとの論争に負けたとディスっているが、2人のインタビューや執筆したもの(✳︎)を読めば決してそんなことはない。それはまた別記事にしたい。
 というわけでサルトルの名誉を保持する立場で書いている。

サルトル全集 シチュアシオン8巻(人文書院)pp245〜 インタビュー
1969年2月

・双方に対する利益という発想から、交渉による和平が必要。
・1 どのような方法によってであれ、イスラエルは占領している地帯を返還しなければならないでしょう。
・2 イスラエルの国家主権は認められねばならない。
・3 パレスチナ難民問題は、ただちに最初の交渉の目的となるべき。
・経済的に見ると、非常に多くの場合、アラブ人は第2階層の市民となっている。
・私は彼らに会いました。ガザに会いに行ったのです。彼らの大多数はまだ比較的若い連中です。つまり、彼らの国から、実際に追い出されたのです。そして今は巨大な貧民街に住んでいます。
・1967年の3−4月にわたしはナセルと会見しました。・・・「パレスチナ難民たちは帰るべきだ」とナセルは言いました。「しかしイスラエルは受け入れるでしょうか」とわたしは言いました。ナセルは答えた「イスラエルは受け入れることができないだろう」・・・ナセルの考えは以下のようなものだったのです<<難問があり、それをわれわれは解決できない。しかし戦争という解決法は良い解決法だとは思えない。>>

もう一つのインタビューは次回紹介しましょう。

(✳︎)弁証法的理性批判、野生の思考および訳者解説、シチュアシオン、レヴィ=ストロースとディディエ・エリボンとのインタビューを順番に読むべき。はじめに仕掛けたのはサルトル。レヴィ=ストロースとボーヴォワールは教育実習で同期。
サルトルがサンジェルマンにいてパリから出てないということを書いている本があるが、アクティビストとしてのサルトルをみてあげてほしい。

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