DAN 運命学の実態

運命学に親しんだ30年の経験を公開。

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    運命学に親しんだ30年程の経験を公開。

最近の記事

面白さ

私は現役の占術家と個人的な付き合いはない。 だが半世紀を生き、人生の節目節目で体験した事実に基づき、 私しか知らない実績について、触れておきたいと思い立った。 今思えば、世話になったなあ、と思う。 同じ時代を生き、人生を彩ってくれた。 気付けば、その殆どが故人となった。 ささやかな恩返しといった気分もある。 侮辱する様な事を述べる心算はないし、 実際、そんな人とは出くわさなかった。 今となっては、他人に鑑定してもらう理由も必要もなくなり、 自分の事など気にもしなくな

    • 救う響き

      当時の妻とその父親は、思いのほか素直に応じ、くわの擁齋と対面した。 私はさすがに席を外し、妻と待合室で待っていたので、 具体的にどのような話があったのかは分からなかった。 妻の父は、戻ってくると血の気が引いていた。 改名を依頼した、と言っていた。 全て お見通しだと苦笑いしていた。 それ以上、何も話したくないようだった。 それから、二~三ヶ月だったろうか、銀行が四千万ほどの借金を、 損金で計上するからとかで、チャラになったという報告を受けた。 突然の命拾いに、一家

      • くわの擁齋

        私は再婚しているのだが、最初の妻は実家が工場を経営していた。 田舎の零細企業で経営は厳しく、借金も抱えていた。 土地家屋を担保に銀行から借入しながらの綱渡りだった。 長男は保証人にされて逃げ道がなく、更なる保証人が必要だった。 当時の妻にその相談が来た時、妻の名前を鑑てもらう事になった。 私は、くわの擁齋に妻の名前だけを予め報せ、例の如く同行した。 到着すると 和室に通され、妻の顔を見るなり くわの擁齋は言った。 「近々、お父さんの身にね、  大病、もしくは会社の倒産

        • 名は体を表す

          くわの擁齋に依頼し、突然、名前を変えた。 「お前が変えたなら、俺も変える」 と言って、改名する友人もいた。 私が本名にすると、この友人も本名にした。 名前に興味があったり、名前を変えたいという人は意外と多く、 当時、私の周りから そういう人が随分出て来て紹介を頼まれた。 例によって "同行して欲しい" というのは親しい者に多かった。 私なら嫌なので不思議なのだが、何故か同行する事になるのだった。 私にも隠していた持病を言い当てられる友人や、 借金の肩代わりを言い当

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          30本

        記事

          間違い

          いつ生まれ、いつ死ぬか、何をどう感じるか、人は選べない。 認識自体が意識に伴う機能でもある。 認識に翻弄され、認識に苦しみ、認識を求め、認識に幻滅する。 仏教で云う、苦諦、集諦という迷妄の輪廻転生という事になる。 だが、それでも、殆どの人が認識の成就と保守に人生を賭ける。 それが長くは続かないとしても、むしろ儚さを愛して止まない。 それは間違いなのだろうか。 なるようにしかならない。運命に抗うのは愚かしい。 だが、誰がそれを間違いだと決められるのだろうか。 仏教は

          認識と事実

          意識という絶対の事物に、認識という相対が伴っている。 顕在意識、潜在意識、個人的無意識、集合的無意識と呼ばれるものは、 認識のグラデーションであり、精神世界は認識の中にしか存在しない。 それは各層の記憶からなる厖大なイマージュでもある。 "認識"を用いる限り、認識を見る。 それを現実として体験する。 土台(意識)の上に投影された"認識"を観測することで、 次々現実を確定しながら体験する際限のない固定観念。 事実の表層で、事実を捏造し続ける。 だから占術は主観の投

          姓名判断

          くわの擁齋は、書き連ねた数字を見て言った。 「あなたの場合、直感ね、直感を通り越して閃き」 そして少し頷き、 「間違わない」 と、言った。 「鋭いなんてもんじゃない。  ただ、親の影響もあって苦労性だから・・」 と言い、私を身籠っていた当時の母親の心理状態に言及した。 忘れていたが、昔、一度だけ、母親から聞いた事があった話を、 まるで、見て来た様に寸分違わず口走り、私の記憶を蘇らせた。 驚いた。 は?名前で?と、思った。 「だから、緊張状態で神経が休まらな

          陰極まって

          信じている、期待している、というノイズなしに如実に事実を見る。 むしろ、認識の支えとしていたものを、失う事で得られる事実の姿。 想像火傷と同じではない、事実に基づく有機的で生きた経験則を得る。 失望から事実と運命学の接点を見出し、実占で通用する目安を発見する。 陰極まって陽。 その経験則と直観を同時に用いて結果を出す。 占術に失望、ではないが、似たような事例が他にもある。 桑野式内画法姓名学 初代宗家 桑野燿齊(嘉都朗)である。 私は二十一歳になると同時に、名前を変

          運命の求道者

          波木星龍という実占家は、 運命と運命学の"誤差"に気づいているような節がある。 その実力や実績と裏腹に、である。 通常、自分の占術が的中すればするほど、それを信じる。 全ての出来事はそこに表出し、その占術に符号している。 そこに出ていない事は、起きないと信じて疑わなくなる。 的中しなかったり、どうしても該当しない事があっても、 勉強不足であり 読み取る側の実力次第なのだと思い込む。 宗教信仰のようなものだが、無論、もっと柔軟な人々もいる。 心理学や物理学に通じ、ある

          波木星龍

          運命学に関して言えば、古典物理学的厳密さより経験則。 だが、それには条件がある。 研究者の多くは、統計から何らかの結論を引き出そうとし、 自分の仮説を裏付ける都合の良いデータを求め、期待する。 このような期待が一切なく、仮説に失望し、何も信じられず、 虚心坦懐且つ、事実に基づいた手掛かりを手探りで求める時、 事実の方から与えて来る、経験則としてのデータが得られる。 それは個人的な経験則でありながら、一定の事実を指し示す。 仮に、例えば、ボクシングという競技、ルールが

          ゴークラン

          統計について、喧しく言う輩がいる。 殆どは古典物理学としてのものである。 だが、その統計ほど当てにならないものもない。 そもそも、この手法には大きな落とし穴がある。 統計的なデータは、見方によって結論が変わる。 つまり、ある統計対象が特定の範囲に多く見られても、 そこに確実な因果関係がある、という事にはならない。 "二重スリット実験"が証明しているように、 統計から観測を除く事は不可能なのである。 占星術における統計といえば、ゴークランである。 だが、ハンス・ユ

          見事だと

          鑑定料は五千円だった。 有名どころとしては破格に安い。 "誰でも払える金額で鑑てあげなさい" 師である辛島宣夫の教えを、彼は守っていた。 急で、大掛かりな不動産契約について鑑定を要求され、 ジョージ土門が用いた道具は、タロット・カードだった。 ホロスコープも確認していたが、それで判断はしなかった。 少し、精神統一するような仕草を見せ、カードを混ぜ始めた。 カードを並べ、一枚めくっては間を置き、全てをめくり終えた。 「これは詐欺ですね」 と、彼は言った。 「海外

          何故か

          ある日、不動産業を親子二代で営む友人から連絡が来た。 何社かが共同で出資する、デカい契約の話があるらしい。 友人の家はバブル期に億単位の物件ばかり扱う不動産業者だった。 だが、この頃には低迷し、負債を抱え、厳しい状況となっていた。 デカい契約とは、某有名ホテルの跡地に関するものだった。 海外の業者が主体となるらしい。 友人の母は、今や落ちぶれた会社の社長だったが、 バイタリティのある人で、この話に乗り気だった。 だが 何故か 私にジョージ土門を紹介して欲しいと言っ

          ないほどいい

          認識を変えれば、認識世界は変わる。 想像し得る あらゆる事は実現できる。 だが、こんな事は、仏教で云う典型的な集諦である。 ごく近い将来、量子テクノロジーが開示される事で、 奇跡は奇跡でなくなり、超能力は超能力ではなくなる。 インフラ、医療、金融、様々な問題が解決するだろう。 だが、必ず死ぬ。 対人関係という問題がなくなる事もない。 認識とは、事実の後に生じるものであり、 認識が認識以前の事実に触れる事はできない。 認識にできる事は、既知を解釈し、現実として体験

          まやかし

          意識という物理現象、その環境という土台の上で、 認識は認識を実在と捉え、それを現実として体験する。 過去生で負った傷跡と同じ場所に痣が現れたり、 死んだ人と会話したり、キリスト像が泣いたりする。 輪廻転生、過去生、来世、天国、地獄、守護霊、悪魔。 自我を喪失したり、霊界を出入りしたり、臨死したり、 真我や神と一体化したり、認識し得るあらゆる現象性。 だが、これは想像火傷と変わらない。 実際に起きている現実は否定できないにも関わらず、 意図の有無と無関係に、主観を反映

          一なる世界

          マギー・ハイドは、シンクロニシティをⅠとⅡに分けて説明している。 相対的で客観的に観察できるものをシンクロニシティⅠとして。 絶対的で客観的に観察できないものをシンクロニシティⅡとして。 これは ユング自身の過渡期と結論の違いとも言える。 ユングは統計的な方法が占星術を通じて、 シンクロニシティを明らかにしてくれると思っていた。 だが、彼はその最晩年に到ってシンクロニシティⅠを否定した。 彼の結論は "一なる世界" だった。 ユングは心理学という入り口から、量子物