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楽であり、楽でない、シンガポール生活の果てに思うこと。

シンガポール生活を気に入っている人に出会ったとき、シンガポールのどこが好きなのか聞くようにしている。
大体の人が、「シンガポールは楽だからいい」という。

シンガポールの人は服装に無頓着で何を着ていても浮かないから楽だという。
シンガポールでは、日本の銀座のようなハイブランドが並ぶストリートでも、Tシャツにビーチサンダルで歩いていてもなんら問題はない。大人が汗だくのままテニスウェアを着て、ラケットを抱えて電車に乗っていても恥ずかしくない。ヨガレギンスのまま街中だって堂々と歩ける。
そういう格好を気にしなくていいところが楽らしい。

無理して苦手な人と会わなくて済む環境が楽だという。
仕事をしていない人が多い駐妻は、習い事やサークルで出会った人の中から、気の合いそうな人とだけ交流していればいい。合わないと思った人とは積極的に連絡を取らなければいいのである。
日本で人間関係に悩みながら働いていたときと比べると楽らしい。

「楽」という言葉を辞書で調べてみた。
①心身に苦しみがなく、安らかなこと。
②苦労するまでもなく、たやすいこと。
と出てきた。
シンガポールは楽でいいと言っている人は、たぶん①のことを言っている。

私は②のことばかり頭に浮かぶ。
正確には「苦労が必要で、難しいこと」。

海外では、テレビを買うだけでは日本のテレビを見ることはできない。動画配信サービスも、エリア制限で見られないことがある。日本の食材をどこででも手に入れることはできない。日本と同じ日常を過ごそうとすると、何をするにも多くの工程を要する。たやすくないことばかりだ。

服装や人間関係についても、私の思いは違う。

格好を気にしなくていいということは、そこにおしゃれは存在しない。「もうすぐルミネ10%オフだね」なんて友人と話して、季節の移り変わりとともにファッションを楽しんでいた私にとって、それはマイナス要素だ。最近は、突然のスコールにも負けず、洗濯機でがしがし洗っても気にならない服しか着なくなった。一時帰国したときに、「服は別に欲しくないんだ」と言うと、友達に「そんなこと言うなんて、元気ないね」と言われた。

すごく嫌な人と会うことは減った。でもそれは、出会う人の母数の問題だ。すごく嫌な人と出会うことが減ったということは、すごく気の合う人と出会うことも減ったということだ。
それなりに気の合う人と出かけたり、ごはんを食べに行ったりするのだが、なんだかずっと浅い付き合いをしている気がする。出会いと別れの多い海外では、はじめましての人と会うたび、お互いの自己紹介をする。どこの出身で、日本ではどういう仕事をしていて、どのくらいシンガポールにいるつもりで…そういう繰り返しの話に時間を割いている。つらいことはないが、ぼやっとしている感じ。
日本にいるときは、人間関係に悩んだことはあったけれど、そのたびに友人に助けられてきた。そういう経験があったから、これからも一生付き合っていくんだろうなと思える友人に出会えたことも事実だ。

たしかに、シンガポールの生活はみんなの言う通り安らかだ。つまり楽だ。
でも、たやすいことは少ない。つまり楽ではない。

シンガポール生活を楽しんでいる人はとても多い。それはすごく素敵なことだ。
私は安らかな生活は求めていないのだと思う。おしゃれもしたいし、良くも悪くもしっかり人間関係をつくっていきたい。

もちろん、シンガポールの友人を否定したいわけではない。はじめて出会った人同士で、みんなが楽しめるように気づかい合える人たちは素晴らしいと思う。仲間に入れてもらえて感謝している。

シンガポールでの生活が好きでも嫌いでも、ここに永住する人は少ない。だから、この数年がいい思い出として残り、それぞれにとっていい未来を迎えられることを願うしかない。この経験をもっていい未来を迎えられるように、努力するしかない。

シンガポールで出会った人たちがみんな素敵だったなと誰かが思ったとき、その中に私もいられたらいいな。

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